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「シグナルとシグナレス」 [思うこと]

賢治は何故「修羅」だったか。

私に、賢治の修羅の内なる姿をはっきり見せてくれたのは嘉内の存在でした。
嘉内あての73通の手紙と、
菅原千恵子著『宮澤賢治の青春』によって
賢治と嘉内の結びつきの強さを知り、
保阪嘉内が賢治の心友であり
その後の生き方にもお互い大きな影響を与えあったことを知りました。

私は二人が「訣別」をしたとは思っていません。
(そのことはいずれまた書こと思っています。)
ただし、大正10年の夏、
宗教上と生き方の問題で二人が激論を交わしたことは
確かなのではないでしょうか。

それ以来、賢治が修羅となったのは、己の姿を嘉内という鏡によって
突きつけられたからだと思っていました。
法華経が正しい道だと信じていながら
それが本当に正しいという証明ができない。
みんなの幸せを求めて進もうと二人で誓いながら
自分は具体的に何もできずにいる…。
それゆえ、賢治は悩み苦しんでいたのではと。

そしてそこには勿論、妹トシの死も絡んできます。



しかし、一方で、
賢治の作品には、嘉内のものとは別の影の気配があることを感じてもいました。
記録ではなく「作品」なのだから、
ある感情を男女の恋愛に擬して仕立てることも不可能ではない。
でもやはり、賢治が嘉内への恋慕を作品に織り交ぜたと考えるには
少し違和感が残るものがある…。
心の何処かでそう感じていました。

その気配の正体が、わかったような気がします。
やはり賢治はこの時期(大正11年頃)、誰かと恋をしていたと考える方が、
自然なのではないかと思います。

澤口たまみさんの『宮澤賢治 愛のうた』(もりおか文庫)という本がそのきっかけです。
内容は、賢治が大畠ヤス子という女性と恋愛をしていたというものです。

これまで、賢治の女性関係としては
初恋の看護婦(高橋ミネではないかといわれている)、
高瀬(小笠原)露、伊藤チエ、がよく知られていて
他には木村コウなどがいます。
(最近「新発見」としてあげられた澤田キヌについては
私には疑問だらけでにわかには信じがたい)
しかし彼女達とは、片思いか、実質上の深い交流はないものであり
「恋愛」とは違うといっていいのです。

でも、大畠ヤス子であろうといわれる、この時期にいた「恋人」は違います。
ヤス子の存在が否定され、黙殺されてきた理由は
やはり賢治の聖人・偉人としてのイメージが損なわれるため、
更には近親者からすれば、相手がごく近い所に住んでいたためお互いに
タブーとなっていたと推測されます。


賢治の童話に「シグナルとシグナレス」という作品があります。
私も大好きな作品のひとつです。
大正12年5月、「岩手毎日新聞」に11回の連載でこの作品が発表されました。

想像のみでも物語は創れないこともないけれど
賢治自身のことだと思って読み返してみると
この作品の、なんとリアリティのあることでしょうか。
そして、あまりにもあまりにも切ない…。

普通なら新聞に載せる童話といえば
もっと一般受けするような子供らしい話を書くはずではないでしょうか。
それは、澤口氏の書いているように
わかる人にはわかるように、自身の恋愛の顛末を書いたということかもしれません。


賢治が相思相愛の恋愛をしていたことが
果たして彼を貶めることでしょうか。
私はそうは思いません。

賢治も、私達と同じように「たったひとりの人」に恋をして
愛し合いそれを育んだことは、
親近感とともに安堵にも似たような気持ちになるのです。

相手のちょっとした反応に喜んだり憂いたり…。
相手を思いやったり、
ささいなことにも胸をふるわせ、共感する喜びを得る…。
それはやはり、同性の友人とはまた違うもの。

そういう体験を持ったかどうかは
一人の人間としての資質や幅にも大きな影響があるような気がするのです。

  たったひとりの人も愛さないで
  みんなのことが愛せるのだろうか。
  ひとりの幸せを願わないで
  みんなの幸せが願えるだろうか。

病気のこと、家のことなど
どうにもならない壁に阻まれ
二人は、その恋の成就をあきらめざるを得なかったのだと想います。

賢治は、たった一つのほんとうの恋を失い、
それゆえに、その後は、たったひとりを祈ることを自分に禁じ
己を戒めて、その想いを昇華させていったのではないでしょうか。

それが、ヤス子だったとしたら、
泣く泣く親のいうままに年の離れた男性のもとに嫁いでいった
その心情を想うと、同じ女性としてなんともせつない。

「僕たち一諸に行かうねえ。」
こういいながら振り返って見たときに
いなくなってしまったのは
トシ、嘉内、そしてもう一人いたのだとしたら…

カムパネルラをヤス子に重ねてみれば
「悪口」をいうザネリらと一緒にいながら
気の毒そうにする姿も納得できはしませんか。


賢治は、失った恋人への想いを断ち切って
みんなの本当のしあわせを求めたのかもしれません。


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