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震災と嘉内 [思うこと]

震災から一年。

3.11にと書き始めた記事なのに
もう10日以上経ってしまいました。

この一年、ボランティアや自衛隊の方々の
被災地での活躍を見聞きするたび頭に浮かんだことがあります。

大正12年9月、関東大震災の折に
保阪嘉内がとった行動です。

保阪庸夫さんの文章に
その時の様子を書かれた部分があります。
まだ活字になっていないものですが
了承を頂くことができたので掲載します。

 『畧説 賢治と嘉内(一)』(抜粋)

 大正一二年九月一日、午、大音響と不思議な晦冥がひろがり四囲の山々がどよめいた。関東大震災の瞬間である。嘉内はとっさに、傍に居た末妹、静枝を抱き、中庭へと飛び出す。家も木々も空気も川水も、耳にきこえぬ高い響きを放ってふるえている。藍青のジグラットのように南天にそびえる富士が鈍色めき、東へ東へと流れるはずの千切れ雲が、かなりの速度で西へ駆ける。雀、椋鳥、山鳩にまじって何羽もの鳥の群が北へ西へと翔る。普段はみなれない大型の白、茶、黒の鳥の群も列をなして、騒然たる天、懐の静枝もキョトンとした目つきで空を眺めていた。
 後の妻、佐藤さかゑは、柱時計を見上げながら、背なの末弟に子守唄をうたっていた。韮崎より東京に近い東山梨群岩手村の生家である。柱時計が赤ん坊の頭をかすめて落ち、大屋根、中屋根、小屋根がうめききしんだ。確かに柱も壁も泣くのがきこえた。冬のように冷たい山颪しが裏山から寄せ、居間裏の小池の水面が斜めになったままだった。
 午後になって、東京横浜を中心とする関東地震の噂さが国なか地方にもとどいた。折から三妹のきのえは東京青山に居る。甲府の女学校を了えると、教師資格を得るために実践女学園に進んだのだ。
 嘉内は急遽、軍装をととのえて谷村町へ向かった。大月など郡内地方は、かなりの被害で人死にも出た、という風聞が入った。谷村は、つい先頃まで桂川電気で地質町瀬の根 據地としていた所。知人も多い。特に定宿「焙烙屋」の主人は退役陸軍軍曹で、小さな運送屋も兼ね、駄馬二,三匹を飼っているので嘉内輜重兵とは話も合う。
 中央線は運行が乱れ、やがて大月以東は一時運休となった。顔や姿のすすけた焼けだされや、あちこち包帯したケガ人が三々五々、避難してくる。もう晩夏とはいえ、日の落ちた頃である。惨怚たる人々はデマや臆説を携えて来た。「主義者が暴動をおこした」「半島出身者が焼きうちや掠奪をして回っている」といったたぐいの噂だ。
 嘉内と焙烙屋は荷馬車索きを中心に十名余の若者を集めて「関東救援隊」を組織する。手当り次第に勢揃いしたのは翌二日の夕方だ。とにかく笹子も小仏も越えて、まず八王子へ。三台の駄車には手綱取り一人、後番二人、先頭と後尾には、替え馬に乗った予備少尉殿と退役軍人殿。他に交代要員三,四名で計十五名ほどの仲間となった。後尾車から荷をほどいて、空になった車馬は大月へ戻る。甲州街道は高井戸あたりで荷がつきる。嘉内は残物を自分で用意して来たものと一緒に背負子につけて一荷とし、片手に杖のいでたちで焙烙屋と馬たちに別れた。
本当に徒歩となったのは此処からである。北沢から駒場をすぎて渋谷、青山と、輜重大隊時代におなじみの道だ。焼け跡。くすぶっている半壊、全壊の家。呆然と座り込んでいる人の傍らでは、何かを懸命に探す者。ピクリとも動かぬ老人。泣いている女。子供が何かをしきりに食べているが、煤けた頬と鼻の下に四本の白条がクッキリと目立つ。小さなキャラメルの箱を渡しながら、よく見ると涙と鼻水の跡だった。皆にいろいろ分けてやりたいが、妹のところへ一刻でも早くつきたい。嘉内は義侠心と家族愛との板挟みである。まるで歌舞伎の一場面だな、などと無理やり自分の感情を茶化して道を急いだ。見おぼえのある実践学園も大分荒れている。もう少しで、この辛い道行も一先ず終わる。もう九月三日の夕方である。
 宿の面会室に入ると蒼白い顔のきのえが現れる。兄と妹は自然と抱き合う。細い肩がふるえて、声をころして泣くと、兄もつい涙ぐむ。「兄さんの身体は暖かくて広くて、お母さんに抱っこしているようだった。」「兄さんの汗も涙も甘い味がした。」「お土産の粉ミルクや練りミルクは、ずっと後まで一日にひとなめずつした。なくなるのが惜しかった。」「いろいろの品物をくれたが、新品の下着は、どこで用意したのか。最新流行のワンピースの洋服には一番おどろいた。裾が少し短めなのが恥かしかったけれど。」長い年月の間に聞き出した叔母の追想である。

物資を集めるのに苦労したことや、
少しずつ配りながら行ったら皆さん涙を流して喜んだことなども
保阪庸夫さんが教えてくれました。

肉親の身を案じそのもとへと急ぐとき、
私なら取るものも取りあえず
家族のことしか頭にないと思います。

嘉内の機転と行動力。
万分の一でも見習いたいと思いますが
震災後一年経ってもまだ
私は何も出来ないでいます。
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おるがんhs

ご無沙汰しています。
一昨年 本まつりで オルガンをひいた者です。
憶えておいでですか?
 今年 受験生を抱えていらしたのですね。
私は 長女 長男と2年連続でした。
 久しぶりに覗かせて頂きましたが益々充実されて
素晴らしいブログですね。あまりレベルが高くて
私のような者は 場違いかと思いますが、お許し
下さい。
 今日 改めて カテゴリーの 思うこと を読んで
寮 美千子さんの名前を拝見し驚きました。
 なぜなら今月こんな事があったんです。
碧南市にある藤井達吉現代美術館で碧南ビエンナーレ
という 地元の美術家と碧南に由来する作家の展覧会が
あり、18日の会の懇親会に参加した際、豊橋在住の詩人
の方と居合わせました。色々な話で盛り上がり、そろそろ
お開きになるころ、あなたに1冊 詩集をプレゼントするわ
と仰って 下さったのが、寮 美千子さんの『奈良少年刑務所
詩集』でした。初対面なのに不思議でした。その方はとても
感動したので 何十冊も買って皆さんにプレゼントしている
と言われました。こんなに素敵な詩集は滅多にない!と

早速 読みなるほどと感動し、私も周りの友人に知らせたいと
思っていたところでした。俳人の服部くららさんにも紹介したいです。
最新版(みどり)ご存知ですか?にインタビューで出ています。

 プロフィールに宮沢賢治学会会員、ともありますね。 とても嬉しい不思議の連続でした。

 ところで 教えて頂きたい事があります。私の実家は日蓮宗の寺院
だったので その関係で お寺の関係の催しで宮沢作品と音楽の会を
企画して欲しいとの依頼があるのですが、光の素足 を最初考えましたが
どのように取り扱うか、迷います。ブログ中に 京都でお能でやられた
とありますが どこかで見られますか? 方言はそのままでしたか?
あまり 子どもには 向かないかもしれませんが そのあたりは
どのように思われますか? お教え下さい。

by おるがんhs (2012-03-29 12:06) 

signaless

おるがんhsさん、お久しぶりです、ありがとうございます。
もちろん覚えています!
時々思い出してはどうしていらっしゃるかしら、と思っていました。

とにかく受験は親も子も大変ですね。
ほっとしたのもつかの間、
うちの子は来週には東京に行ってしまうので嬉しい反面淋しいです。

寮美千子さんのこと、嬉しいです。
昨年、豊橋で講演されたので(私は都合がつかず行けませんでした)、その詩人の方はそこで寮さんのお話を聴かれたのかもしれませんね。寮さんはもう長いこと奈良少年刑務所で詩の指導をされています。そのなかで生まれた『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』を広めて下さっていることを知ったら、寮さんもとても喜ばれると思います。

服部くららさん、私が所属している読書会の1月のお茶会に来てくださいました。お知り合いだったのですね。「みどり」はまだ読んでいないので、さっそく手に入れて読みたいと思います。

それからお寺の催しを企画されるとのこと、素晴らしいですね。
「光りの素足」に限らず賢治作品は子供に向いているかどうか悩むところですよね。
ただ、震災後に宮澤賢治が注目された理由のひとつには、賢治が作品を通して私たち現代人が忘れてしまったものや見をそらしてしまっているもの、ほんとうに大切なものなどを示してくれているからではないでしょうか。子供達には今わからなくても、きっと何かは残るかもしれませんし、またそうであってくれることを願います。
あのオルガンコンサートのようにきっと素晴らしい催しになることと思います。誰でも参加できるのでしょうか。そうであればまた詳しく教えてくださいね。

中所宜夫さんの能楽らいぶ「光の素足」は、今のところ上演の予定はなさそうですが、あればまたこのブログ等でお知らせできると思います。全体を通してほとんどが古語で謡われます。難しそうな気がしますが、一旦幽玄の世界にひたれば頭でなく魂で感じることができるものなのだと実感しました。

それにしても不思議な繋がりに驚くとともに
心からうれしく思います。
私のブログなどは思うに任せて書き散らしているだけのものです。
ぜひいつでもお気軽に遊びに来てくださいね~。
by signaless (2012-03-31 01:22) 

おるがんhs

憶えていて下さり 嬉しいです。時々思い出して下さってたなんて
感激です。
 大学合格おめでとうございます。お淋しい気持ちよくわかります。
私の息子も県外を受けたので 離れて行くことを想像して心の準備を
したり別れの時の妄想をしたり 仕事もセーブしてなるべく一緒にいる時間を作ったりしていました。 しかし残念ながら 浪人となりましたので、また
受験生の母となりました。。今度高校2年の娘がいますので 4年連続の
受験生の母となりそうです。
 くららさんをご存じだったんですね。見えないところで繋がっていますね。
私も嬉しいです。去年の秋、本まつりで くららさんに絵本を読んで頂いて
私がオルガンで音楽を添える会を図書館でやりました。もう10年近くお付き合いさせてもらってます。寮さんの詩集、きっと共感して静かに頷いてくれる事うけあいです。  

『ひかりの素足』は以前から凄く気になっていた作品でした。なぜなら文中にダイレクトにお経が出てくるからです。しかも法華経28品の中でも最も重要な核である (如来寿量品第十六)が 重要な鍵になっているからでした。
 今回 初めて全文を読み、想像していたよりシリアスな内容にたじろぎました。それでご意見を伺いたくなったのです。以前『水仙月の四日』を言葉なしでアニメーションと音楽だけで表現したものをBSで生誕100年の特集でやった
のを思い出しました。その時も不思議なお話と思ったのです。
 映像 絵画的というか さすが共感覚の持ち主のなせる技という文です。
文を読んでいて匂いがすることは滅多にないのですが(伊藤比呂美の『河原荒草』)以来です。とにかく強烈です。何度も読み深めてじっくり考えてみようと思います。果たしてきちんと表現できるか 深い作品なので半端な事はできません。私が一番はっとしたのは ひかりの素足を持った高貴な方のこの台詞『みんなひどく傷をうけている。それはおまえたちが自分で自分を傷つけたのだぞ。けれどもそれもなんでもない。』 です。
 できるといいです。ちょっと重いですが ベースがしっかりしていたなら
伝わるはずです。しかし力及ぶか否か。
 また相談に乗って下さい。お願いします。
   
by おるがんhs (2012-03-31 17:15) 

signaless

おるがんhsさん、お返事が大変遅くなってすみません。

息子の引っ越しや入学式などで上京したり、帰ってからも娘の中学入学式だったりで慌ただしくしていました。
やっと落ち着いてPCの前に座ることができました。

おるがんhsさんの息子さんは再チャレンジだそうで、
お母さんとしても大変でしょうが、頑張って下さい。
うちの息子も、一年余計に頑張ってきて
第一志望ではなかったけれど、決して努力は無駄ではなく、
結果的には息子に合ったいい学校に入れたのだという気がしています。
賢治の生涯の心の友、保阪嘉内が東北帝国大学農科大学を諦め、
盛岡高等農林に入ることに決めたのが二人の運命の出会いでした。
人生何がいいかはわかりませんものね。
それに余分の一年は、ある意味、私にとっては
子離れのための心の準備というか、
残り少ない時間を慈しむためのかけがえのない時間でした。
(息子にとってはたいへんなだけだったかもしれませんが…)

「ひかりの素足」に関しては、私などが口を挟むまでもなく
しっかりと作品を読み込んでご自分のものにしておられるご様子。
なにが正しいかそうでないかではなく
それぞれの受け取り方や感じ方が、
それぞれにとって正しくまた尊いのだと思っていますが、
おるがんhsさんなら、その想いはきっと伝わるはずです。
素晴らしい作品になると信じます。
楽しみにしています!
by signaless (2012-04-07 21:49) 

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