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「ある花巻出身者たちの渡米について」~大畠ヤスの渡米の詳細 [検証]

長らくブログをご無沙汰しておりました。
個人的な事情もようやく落ち着いてきたのと、
ぼちぼち時間も作れるようになったので、今後も続けて記事を更新できればと思っています。

さて、少し前に、花巻市の「花巻市博物館研究紀要」第14号に
たいへん興味深い論文が掲載されたことを知りました。
宮澤賢治の恋人だったのではないかと言われている女性・大畠ヤスさんについて
結婚相手や渡米時の様子、シカゴでの暮らしや亡くなった経緯が
詳細に明らかにされていて初めて読んだ時にはたいへん驚きました。
現在はPDFで閲覧できますが、時間が経つと消えてしまうことが予測できるので
要点を記事にしておきたいと思います。

「花巻市博物館研究紀要」第14号リンク
P27~33(2019年3月発行)

論文を書かれたのは花巻在住の布臺一郎さんという方で
米国公文書記録のインターネット閲覧等を利用して綿密に調査されています。

これまでに大畠ヤスに関して出版された本の内容とは大きく違う部分もあり
賢治ファンとしては、真実の情報を知りたい、というのが共通の思いではないでしょうか。
以下にまとめます。


及川(大畠)ヤス 
1900(明治33)年4月7日生まれ 1927(昭和2)年4月13日死亡 豊沢町出身※花巻出身

及川末太郎    
1881(明治14)年4月12日生まれ 死亡時期・場所不明 1943(昭和18)年9月23日 第二次抑留者交換で帰国した可能性あり 大迫町出身

及川修一     
1926(昭和元)年8月3日生まれ 1929(昭和4)年4月2日死亡 出生住所シカゴ市エリス街2949番

ヤスの死因:僧帽弁狭窄症・心不全(誘因:拡張型心筋症)
修一の死因:急性粟粒性結核

及川末太郎は1898年5月からイリノイ州に在住
職業はホテル業(及川旅館:oikawa room)、食料品店(及川日本品商会)
住所 シカゴ市エリス街2949番

ヤスと末太郎の渡米は1924年6月1日 横浜出航 
          同年6月27日米国ワシントン州シアトル着
KAGAMARUの乗船者名簿には末太郎とヤスの名前が掲載されており旅費は二人で300ドル



まず一番大きな違いは、夫の名前と職業、出身地です。
夫だと書かれていた「修一」というのは、実は子どもの名前。
出版された本には土沢出身の医師だと書かれていたので、ちょっとびっくりですね。

もうひとつはヤスの死因。「結核」ではなく「心筋梗塞」ということです。
(医学情報サイトによると僧帽弁狭窄症の症状としては喀血があるとのこと)


なお、修一の出征証明書の母親の子どもの数の欄には「stillborn one」とあり死産1だとわかります。
(これをめぐっては、本の再販で加筆された部分に、多くのひとの名誉にかかわることが推測されており、そこは問題があると思います。)


本では、ヤスが親戚に送った葉書の文面から、たった一人で日本を立ったということになっていますが、「ただ一人だったのですもの」というのは見送りに来た人が一人だったという意味だと言えます。
当時、賢治の同級生なども渡米した人が数人おり、渡米はある面、憧れやステイタスだったかもしれません。またヤスが末太郎との結婚を受け入れたのも、一概に年の離れた不似合いな結婚で、不幸だったとも言い切れません。賢治は教師として得た収入のほとんどをレコードや書籍に使ってしまうような人だったので、結婚をしたいと言ったとき、心配したり反対する人もあったでしょうし、ひょっとしてヤス自身が不安に思い始めたという展開も想定できます。つまり想像のうえではなんでもありうるのですね。
仮につらい別れがあったとしても、結婚後しばらくは米国で成功している年上の夫に大切にされ幸せに暮らしたと考えることは可能だと思います。
それよりも、日本から妻となる若い女性を呼び寄せ、幸せになろうとしていたのに、数年の間に妻にも子にも先立たれてしまった及川末太郎の心境を思うととても辛いですね。

今回明らかになった資料からも言えることは、検証が不十分な資料と聞き取りによる推測では、客観的根拠に乏しく、はたして賢治とどこまで相思相愛だったか、相手は確かに大畠ヤスだったのかも疑問の余地があると感じています。

「賢治研究」131号で栗原敦さんが『校本 宮沢賢治全集で発表できなかったこと・小沢俊郎さんからうかがった話』を掲載されています。全集に賢治が恋した人の存在が示されようとしたが、ある研究家の詮索の手紙によって清六さんが「これだから困る、先の承諾はなかったことにする、公表はまかりならぬ」と取りやめになった経緯を載せています。
「人物を特定することなどはどうでもよく、ただ、作品表現にあれだけの表徴がなされているのだから、事実として背後にそういった事柄があったということがはっきりすればそれでよかったんだけれどねぇ」という小沢さんのことばの意味が、いまとなってはとてもよくわかります。

さかのぼって同じく「賢治研究」115号「新校本全集訂正項目・「きみにならびて野にたてばー賢治の恋」の〈詩〉読解のこと」には、「詩作品の読解が牽強付会にすぎるのは、自分の立てたロマンに目がくらんでいるためにちがいありません。」として、「岩手山」や「高原」を恋愛の物語の裏付けにしないほうがよいことと、文語詩「[なべてはしけく よそほいて]」の誤読の指摘があります。
「伝記的事実の探求はその次元で徹底し、誤読とみなされるような作品の読解などで色づけしないほうがよいことだけは確かです。」

解釈はひとそれぞれ、どのように読んでもよいのではと以前は思っていましたが、それは、やはり、真実を求めるならば、できる限りの資料に当たり記録を調べ、客観的根拠に基づいたうえで初めて成り立つものだと思います。人に伝えたいのならなおのことです。
個人の思いを綴りたいのなら「事実」と「推測」と「想像」は、明確に区別すべきであり、研究ならば、引用や参考資料をきちんと提示すべき、というのが私の考えです。
作家として小説を発表するならそれはまた別の分野です。

最後に。一賢治ファンとして、いろんな方々とかかわり、やり取りすることは学ぶことも多く、読んだこと聞いたこと言われたことが、その時にはピンと来なくても、後になってからそうだったのか、それが正しく最善のことだったなぁと気づくことも多くあります。
賢治を追いかけることで、人としても学ぶことが多い、というより、まさに人としての在り方、生き方を学んでいるのかもしれないと思う昨今です。
だから賢治がやめられません。


※訂正:大畠ヤスの出身地について、布臺さまより、豊沢町とは確定できておらず、おそらく当時の大工町(現在の双葉町)かと思われる、とのご指摘をいただきました。この部分は私の思い込みでした。よって豊沢町を棒線で消し、花巻出身としました。(2019.5.20)

追記:奇遇にも同じ日に浜垣さんのブログ『宮澤賢治の詩の世界』に「シカゴの及川家の消息」という記事がアップされています。素晴らしい考察で、興味深い新たな情報も記載されているので、ぜひお読みください。
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お名前(必須)

賢治の恋愛については、様々な憶測レベルの話が並ぶ中、非常に冷静かつ客観的にご意見を述べられており、興味深く拝読いたしました。

by お名前(必須) (2019-05-21 15:12) 

signaless

拙ブログを読んでいただいてありがとうございます。
さらにコメントもくださってうれしく思います。

賢治のファンになって以来、真実をしりたい、恋愛をしていたのなら相手が誰だったのか知りたいと思っていましたが、最近では、特定することよりも、賢治が恋をしたことが事実だとわかればよい、作品に込められたそのエッセンスを味わい、想いに共鳴できればよいのだと思うようになりました。賢治もそれを望んでいるのではないかと。また、恋愛の一方向からのみ作品や生涯を見てしまうと、何かもっと大切なものを見失ってしまうような気もしています。

自分でも心がけたつもりでしたが少し不安でしたので、冷静かつ客観的とのお言葉をいただいて、ほっとしています。



by signaless (2019-05-21 21:53) 

佐々木伸行

今から55~6年ぐらいまえの事、「整理学」中公新書?の中に、アメリカでは高校授業で「ファイリング」と言う授業科目があると有ったのが思い出されました。
日本では国会で、最近イラク派遣の日誌の有無、公文書改竄問題などが取り上げられていたこと、などを思い国の程度の差などと考えてしまいます。

ご紹介の、2文を合わせ読んでツクヅク思います、又これもハッキリしない過去ですが日経のコラムに、日本の製造生産性の高さに比し事務効率低さの指摘が有ったのを思い出しました。同じ時代の一つの事を知らべる、日本でも出来るか?”「やす」の出国記録(日付、目的)など”、よし過去の国力差だとしても、これから日本が事実を記録し、検索可能なデータとして残すルールを構築できるか? 日本と言う国がそれを軽んじてるのでは?など、考えさせられます。
by 佐々木伸行 (2019-05-23 14:51) 

signaless

佐々木さま
ありがとうございます。
おっしゃる通りで、米国の公文書の取り扱いには驚愕しました。感動すら覚えました。100年前の移民のことが記録されていてきちんと保存されているうえ、誰にでも公開されて簡単にネットで見ることができるのですもの。どこかの、なんでもすぐに記録や証拠を破棄してしまう国とは違いますね。
それらを発掘・調査してくださった布臺さまのおかげで、いくつかの重要な事実が明らかになりました。いちファンとして、少しでも真実に近づけるのはほんとうにうれしいことです。
花巻でも、当時を知る人々がどんどんいなくなってしまって、語り継ぐことも難しくなっているのではないでしょうか。もっとも口移しというのは、当事者の意に反して変化していってしまうものなので、やはり記録というものの重要性を感じます。

by signaless (2019-05-23 22:01) 

いちかわあつき

お久しぶりです。また、久しぶりにブログ拝見しました。いろいろな事実が、出て来ますね。実は、来年のお芝居、賢治の恋物語をもとに、書いています。もちろん、第四次幻想のお話として、ファンタジーとして書こうと思いますが、送って頂いた本、いろいろ誤謬もあるようですね。しかし、ひとつのロマンとして、等身大の人間宮澤賢治の魅力を、私は追い求めてみたいと思います。また、近いうちにお手紙差しあげたいと思います。
by いちかわあつき (2019-11-15 18:19) 

signaless

いちかわさん、お久しぶりです!コメントありがとうございます。
賢治の恋物語、とても楽しみです!「第四次幻想のお話として、ファンタジー」「しかしひとつのロマン」…素敵です、わくわくします。

お芝居の日程が決まったら教えてください。ぜひ観に伺いたいですし、当ブログでもお知らせしたいです。
by signaless (2019-11-15 20:59) 

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