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「シグナルとシグナレス」のモデル

先日、及川(大畠)ヤスと夫・末太郎の消息を詳細に調査した論文「ある花巻出身者たちの渡米記録について」に関する記事を書きましたが、著者である布臺さまから新たに興味深い論文があることを教えていただきました。

米地文夫さんの『「シグナルとシグナレス」の三重の寓意―岩手軽便鉄道国有化問題と有島武郎の恋と天球の音楽と―』(2015年)という論文です。

ごく簡単に説明すると、賢治の作品「シグナルとシグナレス」には三つの寓意があるというものです。
ひとつは、私鉄の岩手軽便鉄道(ほぼ現JR釜石線)を国有化し東北本線につなぎたいという運動がモデルというもの。
二番目は、シグナルとシグナレスの恋は有島武郎と河野信子(新渡戸稲造の姪)の恋愛であること。
三番目は作品に出てくる「ピタゴラス派の天球運行の諧音」とは、島地大等の説いたピタゴラスの「天球の音楽」、と有島武郎の「星座」という作品から影響をうけており、それぞれの惑星がその自転によって発する軋みが音楽になり、その美しい天上の和の調べが恋人たちを感動させるというものであること。

この説に合点がいったのは、「シグナルとシグナレス」が賢治とヤスの恋をモデルにしたものだという説には、なるほどと思いながらも腑に落ちない点があったらからでした。
シグナルは身分の高い「若さま」であり、賢治がはたして自分をそのように描いたかどうか。家業を嫌い、花巻の財閥の一員であることを恥じていた賢治です。
それに、賢治が恋に破れた直後に、ごく一部の人間しか知りえないことをはらいせのように地元新聞にあからさまに公表するようなことをしただろうかという疑問。

ところが、有島武郎の恋がモデルだとしたらすんなり納得できます。
有島武郎の家は身分の高い家柄であり「若さま」と呼ばれるような立場だったこと、相手の河野信子は母が産婆として働く母子家庭で、息子・武郎の結婚相手は上流階級から選びたかった父から結婚の許可が出なかったといいます。この話は当時花巻の人々にも伝わっていたらしく、郷土の誇りである新渡戸稲造の姪を家柄が低いという理由で退けた有島武の言動に反感をもっていたといい、賢治もそのひとりではなかったかという。そんな悲恋を、一つの物語にして新聞に発表したとすると、大勢のひとはああ、あの話だなと思い当たったことでしょう。

ほかにも「黒ぶどう」という作品に、有島武郎との関連を見出すことができ、賢治が白樺派の文化活動などにも関心を寄せていたということで、「シグナルとシグナレス」のモデルが有島武郎の恋だということには説得力があります。逆に、賢治自身の恋をあてはめようとするには無理があります。
ただ、論文にもあるように、賢治が有島武郎と河野信子の悲恋に自分の失恋を重ねて思い浮かべたといういことは十分あると思います。つまり作品を書く動機にもなったであろうことは容易に想像はできます。



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ローズガーデン

こんにちは。大変興味深く拝読し、改めてシグナルとシグナレスを読み返してみました。

賢治とヤスさんが分かれた理由は、ヤスさんの母親の大反対にあったから、ということではなかったかと思います。そうだとすると、シグナル側を若様と慕う太い電信柱の反対で引き裂かれるこの物語は設定が逆と言えるかと思います。
また、賢治が腹いせのように・・・という・は大変共感いたしました。

賢治が白樺派文学にどういう感心を持っていたかは、大変興味深いお話です。

ただ、読み返してみてどこかで実体験がもとになっているとは思いました。
シグナルのシグナレスへの恋心の描写は、恋愛感情に苦しんだ経験がないと書けるものではないと思います。
by ローズガーデン (2019-06-17 10:59) 

signaless

ローズ・ガーデン様、コメントありがとうございます。
拙ブログを読んで共感してくださって、嬉しく思います。
賢治が自分の失恋の顛末を「シグナルとシグナレス」にしたという説を、そうなのかもしれないと思ってきましたが、心の何処かで引っかかる部分もありました。米地さんの論文を読んでそれらの疑問が解決したのでした。
しかし、ローズガーデン様も感じておられるように、賢治自身の恋のよろこびと苦しみが投影されていることに違いはないですよね。

余談ですが、私自身の体験や来し方を振り返ってみても、全てのものごとは出来る限り多くの面から見る必要があると痛感している昨今です。
つまり人は自分を中心に置くと、見たいように見てしまうもの。俯瞰したり反対側や裏側からも見る目を養うことは、けっきょくは冷静を保ってより良い判断ができて自分の身を助けることになるのだと思います。
by signaless (2019-06-19 03:59) 

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