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保阪庸夫さん [思うこと]

保阪嘉内の次男・庸夫さんが7月5日の夕方、
天国へと旅立たれました。

甲府の手紙展と渡辺えりさんの講演があるということで
私は、7月9日・10日の二日間、山梨に行く予定を立てていたところでもあり
庸夫さんのお見舞いにも行けるつもりだったので
お知らせをもらったとき、まさかと愕然としてしまいました。

8日の告別式とその後の偲ぶ会に参加させて頂きましたが
庸夫さんのお人柄が偲ばれる温かなものでした。
親族はもちろん、賢治やアザリア関係の方々が
心から庸夫さんの逝去を悼んでおられました。
聞くと、前日7日のお通夜の夜には
七夕には珍しく空が晴れ、
ベガ・アルタイル・デネブの夏の大三角形が輝いていたとか。
庸夫さんはその中を銀河鉄道に乗って行ったのでしょうか。


庸夫さんに初めてお会いしたのはたしか2008年。
何の実績も肩書きもない、ただのいち賢治&嘉内ファンだった私を、
ほんとうに温かく迎えてくださった。
奇しくも賢治の命日の9月21日。

一見厳しそうでも、ほんとうはその懐は海のように深く広く、優しく、ユーモアにあふれた方でした。
そして、どんなひとにも分け隔てなく接する方でした。

韮崎駅から電車に乗って帰る私を、アザリア記念会の皆さんと一緒にわざわざ来て送ってくださって、握手をして頂いた手の優しさと温かさの感触が、今も忘れられません。
電車が来て乗り込むまで、高架下の広場からホームに向かって手を振ってくださったお姿が忘れられません。

短い時間の中でも、ひととして、もっとも大切なものを教わったような気がします。
もっともっと、いろんなお話を聴きたかった。

賢治研究の世界に、庸夫さんが遺したものの大きさは
おそらく時間が経つほどに理解され、認められるものだと思います。

庸夫さんは私にとって、嘉内、賢治と同じくらい大きな方でした。

今ごろは父・嘉内や大好きな賢治と会って
積もる話をしておられるのではないかと思います。

私もまたいつかは向こうの世界へと行く。
それまでの間、
少しでも庸夫さんの遺志を受け継ぎたいと思うし、
自分自身の一日一日を大切に生きることが、
何よりよろこんで頂けることかもしれないとも思う。

「庸夫先生、あちらでまたお会いできる日を
楽しみにしています!」

IMG_8511tuneosan.jpg
昨年の碑前祭での庸夫さん





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賢治祭の朝に思うこと [思うこと]

今日は宮澤賢治の命日。
花巻の賢治詩碑の前では「賢治祭」が行われます。

今年は、休日の配置が悪いのと、娘の受験が控えていることもあり
岩手行きは断念したので、
ひとりでひっそりと「ひとり賢治祭」だな~なんて思っていました。

今朝一番に見かけたツイッターのつぶやきから
こんなことを感じてツイートしました。

「RTされていた人のツイートをたどったら「銀河鉄道の夜」は好きでずっと読んできたけど保阪嘉内のことは知らなかったというのがあった。最初はへぇ、と思ったけど、本当はそれがいいのかも。私のようにどっぷりで賢治の実像(妄想!)と重ねずには読めないよりは、作品と純粋に向き合えて賢治も本望。」

そうしたら、立野淳子( ‏@selalabard1) さんから
こんなすてきな返信がありました。

 「そのうえ、自分の実生活を重ねて読んでしまいますね。

 ひとり、ひとりの『銀河鉄道の夜』になっていくのですね。

 それを語り合えたら、共有出来たら。

 人々の悲しみは少なくなっていくでしょうか。」

ひとりひとりの『銀河鉄道の夜』、
ひとりひとりの“賢治”、
それは否定でなく共有すべきもの。
なんて素晴らしいんでしょうか。

これまでの賢治との向き合い方に
ほんのちょっぴり疑惑が生まれ
胸中に小さな染みのような憂いを感じていたときに
自信をとりもどしてくれた一言でした。

認め合い共有し合って
より想いを深め
悲しみを軽減し
お互いに少しでも幸せをもたらすことができたら
やっぱりそれが一番素敵なことで
賢治もよろこんでくれるはず。

賢治学会や各研究会は
そのためのものであることを願うし
実際、そのためにつくられたものに違いありません。


「特に今日は、一日中賢治が傍らに居てくれる日です。

私の賢治と語らいながら、各人の賢治を探したいと思います。」

そうです、「ひとり賢治祭」だけど、たくさんの人とつながっている賢治祭。

立野淳子( ‏@selalabard1) さんの言葉が、
爽やかな秋の朝に、胸に沁みわたりました。
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「あめゆじゆとてちてけんじや」 [思うこと]

賢治の詩「永訣の朝」には
(あめゆじゆとてちてけんじや)というリフレインが何度も入っています。

賢治の妹・トシが発した言葉なのですが
花巻弁と思われているこの言葉は実は花巻弁にはない、ということを
何度か眼や耳にした覚えがあります。

先日、といってももう3ヶ月くらい前になってしまいましたが
花巻出身のクマさんことSさんと、この件についてメールでやりとりをしました。

Sさんは、龍谷大学ミュージアム特別展での
花巻博物館長の講演「西域・宮澤賢治と多田等観」に行かれ、
(私は行けなくてほんとうにザンネン!!)
花巻から来られた方々と談笑された折、
「トシ の ・・ けんじゃ ・・ どう読みますか?」
との問いに そのまま読むとの事で、
「そんな、言葉が花巻に有りますか?」と聞くと「有りません、・・ けでじゃ ・・、が普通」との答え、
だったそうです。

以下《 》内はSさんからのメール。

《この言葉以外は トシ の発音を本当に音として正確に記録しようとの 賢治の意思を感じますが、

何故、此処だけ 花巻言葉に再現し得ない 文字にしたのでしょうか?

トシの兄への甘えを表したのでは・・ とのご意見がありました。(Iさん)

甘えだったら、 ・・・ けで~ ・・ のニュウアンスの変化で表すのが普通では・・? 》


そこで私は、いろいろ考えてみたのですが
Sさんに送ったのはこんな文章でした。

   私が思うのは、トシさんは亡くなる直前の重い状態で
  言葉に力もなかったと推測します。
  「おめゆぎ とてきて けでじゃ」が本来の花巻弁でしょうか?
  ほとんどささやくように言ったのだから、
  発音もままならず、
  「あめゆぎ」の「ぎ」は「じゅ」とつぶれ、
  「とてきて」は「とてちて」と舌足らずに。
  「けでじゃ」の「で」に力もはいらず「ん」と聞こえた、

   …のではないかなーという気がしてなりません。
  賢治はそのあえぎのことばそのままを写し取ったではないかと
  思うのですがどうでしょうか。

これに対するSさんの返信、
  
《その通りだと思います(私は心平さんの朗読にそれを感じたのです )。
賢治は、トシの息遣いまでも 遺したかった、私にはそう思えるのです、

      他の言葉の部分も、・・ とても足らない50音文字を用いて。

      少し、花巻の発音について・・・

      ① K 音は G or Gy 音(鼻濁音)の方向へ (あめゆぎ、あめゆぢゅ(ぢ(i・u))

      ② K 音は C or T 音の方向へ       (とてきて、とてちて、とてぎで)
      

       ①と②がまたその中間の音になるような気がします、 
       かな表記は単に本人の賢治覚えとさえ思えます。

以上 子音 ですが 当然 母音はもっと表しにくいのです。

        (音声学の知識が必要かと 思います。) 》

       
       

「賢治は、トシの息遣いまでも 遺したかった」

     …というSさんの言葉が胸に重く響きました。



なお、Sさんのメールにある「心平さんの朗読」とは
Youtubeにあるこの動画のことです。非常に貴重なものだと思います。
宮沢賢治「永訣の朝」 朗読・草野心平


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『みやけん日記』 [思うこと]

臆面もなく
新しいブログ始めてみました。

タイトルは『みやけん日記』

4コマ漫画で賢治の世界を表現してみたい、
伝えてみたい、と思い立って、はや数ヶ月・・・

なんとか描いてはみたけれど。

(ほんとは恐ろしいですが)
ご意見ご感想お待ちしています。
ご批判・ダメ出しは、お手柔らかにお願いしたいところです…
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「野蛮からぬけない世界」と徴兵制 [思うこと]

「さて現今世界 の大勢を見るに実にどうもこんらんして居る。ひとのものを横合か らとる様なことが多い。実にふんがいにたへない。まだ世界は野蛮 からぬけない。けしからん。くそっ。ちょっ。」
『紫紺染について』の紫紺染研究会会長の言葉。

「(ああ、マヂエル様さま、どうか憎にくむことのできない敵てきを殺ころさないでいゝやうに早はやくこの世界せかいがなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何なんべん引ひき裂さかれてもかまひません。)」
『烏の北斗七星』の烏の新しい少佐の言葉。

みんなのほんとうの幸いを願うとすれば
世界がどういう方向に進んで行くべきかは明確である。


これまで戦地で活動している自衛隊が攻撃を受けなかったのは
日本に平和憲法があるからだということを
知らないのか忘れているのか。

このまま「集団的自衛権」なる名のつく「他衛的参戦権」が容認されてしまえば
日本は確実に戦争に巻き込まれ(あるいは巻き起こす)ことになるのは目に見えている。
そうなれば自衛隊員は激減するに決まっていて
徴兵制が導入されるのは必然となってくる。

先の第2次世界大戦だけでも
たった4年の間に戦争の犠牲になり命を落とした人は250万人とも300万人とも言われている。

今、戦争への道を推進している人たちは
戦地なんかには絶対に行かない人であり
戦争が起こっても最後まで自身や家族の安全が保証されている人ばかりだ。

甘いおとぎばなし、かっこよく描かれた英雄伝にそそのかされて
日本を侵略してくる憎い敵に勝つためには
軍事力を強化するしかない、と思いこまされている若者。

子供や孫が可愛いはずのいい歳をしたおじさんおばさん。
この記事をかいている今もTVの中でとてもお上品なおばさまが
「世界情勢が変わってきているのに、いつまでもこのままではいけませんでしょ」
と言い放っている。

若者よりもこういう人により大きな絶望を感じる。
あなたの重ねてきた月日は、いったいなんのためにあったのですか。
あなたはその目でその耳でなにを見何を聴き、その頭で何を考えてきたのですか?
何十年も?

考えてみればいい歳の人達も、戦争があったのは幼い頃なので
よく覚えていない人が多いのだろう。
戦地に行ったお父さんお兄さんは、傷が深くてほとんど何も語ってくれなかったのだろう。
それにしても、だ。

先日、若い人だけでなくいいお歳の方にも
「志願兵」に対する認識が間違っている人がいて驚いた。
つまり自ら志願して兵士になった軍人だというのである。

「集団的自衛権」もそうだが、言葉というのはやっかいだな。
詐欺師はそこをうまくついてくるのである。
エコという言葉に乗せられるのも同じだが
先日のアベさんの会見、可愛い妻と子のイラストのボードとソフトで流ちょうな口調に洗脳された人は
どれくらいいたのだろう。

 あのボードに描かれた事例は、「集団的自衛権」の説明にもなっておらず
 現行の憲法で可能であるという指摘もある。
 思うに、満州でも沖縄でも国民は日本軍に見捨てられ殺された。
 いざとなったら、現実には誰も護ってはくれないのである。
 「国民の命と財産を護るため」だって?
 寝言は言わないでほしい。
 現在のフクシマを見よ。 

話がそれた、
「志願兵」というのは、一家の大事な長男に、兵役を少しでも短く負担を軽くさせようという親心と
国の財政負担を軽減するといいう目的が重なっているもので
経費は自分持ちの代わりに兵役期間を短くするための制度であって
裕福な家の子息にしかできないものだった。

盛岡高等農林で学べるような子らはみなそれなりに裕福な家庭の子であって
保阪嘉内も河本緑石も、この志願兵で入隊している。
賢治はといえば、健康上の理由で兵役を逃れたということであり
もし健康と判断されれば、きっとこの制度を利用したに違いない。
だれも決して喜んで国を護るぞと「志願」して兵隊になったわけではない。
徴兵制度というものは「血税」であって、原則的に
私は行きたくないからと言って回避できるものではないのである。

「集団的自衛権」に賛成の人は
自分が、夫や息子、孫が、徴兵されて、現実に戦地に行くことになるのを
どう思っているのだろうか。
まさか「それは自衛隊の人達が行ってくれるよ」などと思っているわけではあるまい。まさか。

日本が参戦できる国に成りはててしまえば
いつなんどき、9.11のようなことが日本にも起こるかもわからないのだが
隣国が責めてくるという想像はできても
そういう想像はできないのか。

国際情勢が危うくなり
たとえば隣国からなんらかのモーションをかけられたとしても
それを解決するのが外交であり対話交渉であって
これまでもずっとそうやってきたはずだ。

それがたった一つの地球という船に乗るもの同士、
平和に共存するための手段であって
だいたいが国家国境などという集団的妄想から抜け出すのが最終的なはずだが
その道のりはあまりに遠い。
まぁそれが実現するかどうかはともかく
野蛮からは一刻も早く、抜け出すべきである。



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「父子旅行」の意味と「問題の内面化」 [思うこと]

昨日、京都セミナー『修羅の誕生』について書きましたが
あろうことか、一番書きたかったことを書き忘れ。
(美味しいワインを頂いていたのでつい飲み過ぎたせいだけど!)

浜垣誠司さんのテーマ「宮沢賢治、京都に来る」は
大正5年の修学旅行と、
大正10年の父子旅行の京都の足跡を詳しく追ったものでしたが
講演の最後に仰ったことが非常に心に残ったのでした。
それは賢治にとっての父子旅行の意味についてであり、

それまでは賢治が「皆が法華経に帰依さえすればすべての問題は解決する」と思っていた、
つまりは本来自己内部の問題まで「外在化」されていた。
しかし、この旅行によって親子の信頼を回復し
自己の問題を「内面化」したところであり
自己の内なる矛盾を直視することになり、それが「修羅の誕生」になったのではないか。

…というようなことでした。

まさにそのとおりだと思いますし、
この時を堺に、賢治は大きく変化します。
私はそれには、嘉内との衝突も大きくかかわっていると思いますが、
つまり賢治を変えたのは、父と嘉内という、賢治にとって最も大きなふたりの存在だったのではないでしょうか。


さて、実は、この日このセミナーに参加するにあたって
私自身もある悩みを抱えており、
参加をとりやめようかどうしようかと直前まで考えていたのでした。

でもやっぱり後悔はしたくなかったので
思い切って京都行きの新幹線に乗ったのですが
そこでこの浜垣さんの
「本来は自己内部の問題まで外在化」していたという言葉を聞いて、それが心の底に深く響いており
セミナーが終わってからもいろいろと考え、
私自身の問題も、じつは自己の内部にあるのだということに気づかされたのでした。
思うようにいかないことを他人のせいにしていたのは、自分自身だと。

ほんとうの敵は自分の中にいる、とはよくいいますが
まさにすべての問題はそこに行きつくのではないか、という気がしています。


一〇五四
 〔何と云はれても〕

                      五、三、

   何と云はれても

   わたくしはひかる水玉

   つめたい雫

   すきとほった雨つぶを

   枝いっぱいにみてた

   若い山ぐみの木なのである



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生命の灯・・・『春と修羅』序 [思うこと]

友人の紹介で、有機土壌による家庭菜園と取り組んでいるHさんと知り合った。

既成概念を取り払い、
有機土壌・無農薬・減農薬で
小さなスペースでも有効に活用して誰でも簡単に野菜やハーブ、花を育てることができる。
たとえコンクリートの上でも。
屋上でも大丈夫、

15年以上前、自己流で庭で野菜を作っていた。
ハーブや薔薇もいっぱい育てた。
ところが下の子を身ごもり、つわりがひどくなって
夏には水やりどころではなかったため、全部がダメになってしまい
その後はすっかりやる気をなくしてしまっていた。
仕事が忙しくなったこともあるが・・・。

この機会にまた野菜作りを再開してみようと思う。
やっぱり、自分たちが食べるものは安心安全なものがいい。

そのHさんというのは、とても面白い方で、
もとはゼネコンの大会社にいて、海外で空港をつくったり
高速道路をつくったりしていた方。
今も大きな仕事も手がけるが、仕事の一環で培った環境整備のノウハウを活かして
小さなことにも取り組んでみえる。
話をいろいろ伺うと、こちらのほうはほとんどボランティアみたいなもののようだ。
基本は2メートル四方の菜園だが、これを作りっぱなしではなく
講習会やネットワーク作りのほうがどちらかといえば目的のような感じ。

紹介してくれた友人夫妻もユニークで素敵な方達だが
世の中にはじつに面白いひとがいるものなんだと、楽しくなる。
こんな方がいるのだから、人生すてたもんじゃないと思える。

さて、そのHさんが、命について語ってくれたこと。

地球誕生は60億年、生物誕生35億年前、植物誕生3億5千年前。
人類はたった数百万年前。
しかし、その「命」というのは生物が誕生してから脈々と受け継がれてきたものであり
今生きているものはすべて、みな、同い年。

最初に聴いたときには意味が良くわからなかったけれど、
オリンピックの聖火にたとえられたとき、すとんと腑に落ちた。

「灯」はトーチからトーチへ受け継がれていく。
命というのはその「灯」のようなもの。
一番最初に誕生した生物の灯。
それが次に次にと受け継がれて
数が増え、進化し枝分かれして現在に至る。
でもその灯は受け継がれてきたものであり、
つまりは全ての生き物の命は同級生である。
あなたの命も、私の命も、ほんとうは同じ命。

私の命は私だけのものではなく次へと受け継がれる炎。
私が死んでも私の命は受け継がれていく。
子孫を残すことだけが命のバトンではない。
私が生き物のからだを食べると私の命に変わる。
私が死んで土に還ると微生物や植物のからだに変わる。

私はこの宇宙とともに、生きている。

そうか!と納得できたとき
思い出したのが賢治の言葉だった。

  (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
   みんなのおのおののなかのすべてですから)


つまり、詩集『春と修羅』の序の冒頭は
これとまったく同じ事を言っている、と。


  わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
   ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといつしよに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち その電燈は失はれ)


トーチは失われてしまうが
その灯はたもちつづけられる。

「青森挽歌」にある

  みんなむかしからのきやうだいなのだから

という言葉も実感できる。

賢治は、長い長い時間をかけて脈々と受け継がれてきた命のことを記したのであり、
それらはつまりは一つに繋がっていることを感じていたのだ。
人も銀河も修羅も海胆も、おなじひとつの命である。



『春と修羅』



わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます



     大正十三年一月廿日
                              宮沢賢治

「大事なものは、たいてい面倒くさい」~年頭に思うこと [思うこと]

宮崎駿さんの口ぐせは「面倒くさい」らしい。

昨年の制作現場を追ったTV番組のなかでも
「面倒くさい」を連発していた。

一見ネガティブなこの言葉。
でも宮崎駿さんによると「大事なものは、たいてい面倒くさい」。

確かにそのとおりだ。

私のようなナマケモノは、
いくら「頑張ろう」とか「努力しよう」とか思っても
流されて、ずるずると時間を過ごし、
一年経ってみても結局何もしなかった…ということの繰り返し。

頑張るとか努力とかいっても漠然としていて
何をどうするのか、やっているのかやっていないのか
目に見えないものはわかりにくい。

しかし「面倒くさい」ことならなんとかなる。
散らかった机の上の物を片づけてみるとか
後回しにしたい食器洗いを今やるとか
早起きをするとか
奉仕的な仕事をもう一つ自分からやってみるとか
「面倒だな」「イヤだな」と思う、目の前のことをとにかく今やってみることなら、できる。

努力している人の成果というのは
結局はその積み重ねなんだろうと思う。
そんなことに、やっと今になって気づいた。

長年温めているだけで
時間がないとか環境がととのわないとか
他のせいにして結局表現することから逃げていたことも
エンジンをかけないのは自分のせい。

遅くはない。
やりましょう、今から。
「面倒くさい」こと。

新年おめでとうございます [思うこと]

昨年は拙いブログにおつきあい下さり、ありがとうございました。

今年はいろいろと頑張っていこうと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

人々に力を 平和を我らに [思うこと]

33年前の今日を、私は生涯忘れない。

見せかけの民主主義とかりそめの平和を経て
今また日本に戦争の影が覆い被さっている。

ジョンが命を賭けて闘ったものと
我々が闘わずしてどうする、と思う12月9日の朝。

Power To The People 

Give Peace A Chance

Happy Xmas (War Is Over)
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