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賢治の遺言…『銀河鉄道の夜』 [思うこと]

賢治が死ぬ間際まで手入れを続けた『銀河鉄道の夜』。

ジョバンニが賢治なら、カムパネルラは誰か、というのは
これまでもいろいろ言われてきたことで
川で溺れたり病気で亡くなった同級生など、
おそらく何人ものひとの複合体であろうと思われますが
そのもっとも代表的な二人が、妹トシと心友・保阪嘉内でしょう。

ジョバンニは時に、賢治であり嘉内ではないでしょうか。
というのも、冒頭の孤独なジョバンニの姿が
一人退学処分になった嘉内の姿とも重なります。

途中で突然消えてしまうカムパネルラは
賢治が27歳の時に病で亡くなったトシともいえますし
そのことは何の違和感もありませんが
電信柱や異性への嫉妬などのエピソードは
嘉内との関係とも合致するので、嘉内でもあるということです。

「おっかさんはぼくをゆるして下さるだらうか。」という台詞。
おっかさんは後で銀河鉄道の窓から立っているのが見え、
カムパネルラはその直後消えてしまうのです。
すでに亡くなっている、…つまり、
カムパネルラが賢治であるなら、「おっかさん」はトシ。
カムパネルラが嘉内であるなら、文字通り退学処分の後追い打ちをかけるように亡くなった母。

「おっかさんが、ほんたうに幸せになるなら、どんなことでもする…」
やはり賢治のトシへの想いであり
嘉内の母への想い。

双子のような、一心同体のようなジョバンニとカムパネルラ。
アルビレオのようにくるくると入れ替わるふたり。

しかし、そんなことを考えていたらふと
いくら物語のなかであっても、友人を重ねた人物を死なせてしまうだろうか、
という疑問が浮かびました。


『グスコーブドリの伝記』が載った「児童文学」を嘉内に送ったのは
昭和7年の3月~6月の間と思われます(6月頃、長男・善三の病床で嘉内が読み聞かせた)。

すでに賢治は『春と修羅』と『注文の多い料理店』を嘉内に送っています。
ということは、同じように『銀河鉄道の夜』も、完成した暁には
嘉内に見せるつもりだったのではないでしょうか。

最後に死んでしまうカムパネルラは、
賢治のほうだ!
(賢治は嘉内を死なせたりしない!)

「私のいのちもあと十五年はあるまい」と河本緑石に書き送ったのは大正7年7月。
それ以来賢治の胸から、残された時間のことが頭から離れることはなかったでしょう。

そして『銀河鉄道の夜』を書き続けた晩年、
自分のほうが先に死ぬことは
重々承知の上。
(嘉内がまさか自分の4年後に亡くなるとは夢にも思っていないはずです)

賢治はこの物語を書くことで
嘉内に想いを託したかったのではないでしょうか。
遺言のつもりで書いたのではないかという気がしてしかたがありません。

「私が死んで、ひとりになっても、どうか淋しがらないでください。
ジョバンニのように、どんな暗のなかでも、けっして怖がらずに
みんなのほんたうのさいはいをさがしに行ってください。
岩手山でふたり見た銀河、
南の地平線の上でけむるその右で輝いていた蠍の赤い星を忘れない限り、
どこまでもどこまでも、私達は一緒です」と。
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