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『春と修羅』とは [思うこと]

『春と修羅』を少し読み返してみました。

もしこの頃、賢治が恋愛をしていたとしたら…?

賢治の苦悩の裡が見えてくるような気がします。

「ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた」(永訣の朝)ことも、
「巨きな信のちからからことさらにはなれ/また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ/わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐる」(無声慟哭)理由も、
すんなり納得が出来る気がします。

嘉内と約束した理想を掲げながら、
嘉内の女性関係についても苦言した自分が
思わずある人と恋に堕ちてしまい、
宙ぶらりんで決心がつかない。

その苦悩の跡を『春と修羅』から読み取ることができはしませんか。

そこから、再び、正しい道にもどろうと
「わたくしはかつきりみちをまが」ったはずなのに(小岩井農場パート9)、
ふたたび「竹と楢との林の中」で「煩悶」する。

「(その影は鉄いろの背景の/ひとりの修羅に見える筈だ)」(東岩手火山)
     
そうしてまた、
「ひとの名前をなんべんも /風のなかで繰り返して」しまう。(マサニエロ)


「(これがじつにいゝことだ /どうしやうか考へてゐるひまに/それが過ぎて滅くなるといふこと)」(小岩井農場パート1)

そんな時、トシが亡くなる。
迷い悩みながらも
自分のことにかまけていた賢治。

「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが/あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて/毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき/ おまへはひとりどこへ行かうとするのだ 」(無声慟哭)

妹の孤独と苦悩から目をそらしていたことへの
悔やみきれない後悔と懺悔。

ただ単に宗教上の迷いだけで
これほどトシに執着するとも考えにくいのです。
やはり、その裏に、その時「自分のこと」だけ考えていたということが
賢治をこれほど苦しめたのではないか。
それは底なしの悲しみ。

「それはじぶんにすくふちからをうしなつたとき/わたくしのいもうとをもうしなつた」(白い鳥)…。


なんと壮絶な哀しみに満ちているのでしょうか。

『春と修羅』は、影と光、迷いと求道の「スケッチ(記録)」なのだと
あらためて感じています。

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コメント 4

mishimahiroshi

以下の作品もそうですね。

春光呪詛
   いったいそいつはなんのざまだ
   どういふことかわかってゐるか
   髪がくろくてながく
   しんとくちをつぐむ
   ただそれっきりのことだ
     春は草穂に呆(ぼう)け
     うつくしさは消えるぞ
        (ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
   頬がうすあかく瞳の茶いろ
   ただそれっきりのことだ
      (おおこのにがさ青さつめたさ)

浜垣さんのサイトよりいただきました。行は勝手に詰めました。
http://www.ihatov.cc/haru_1/010_d.htm

「髪がくろくてながく しんとくちをつぐむ 頬がうすあかく瞳の茶いろ」
の女性だったのでしょうね。
ぼくも高校の頃、この詩を読んでこんな女性を探しましたが・・・・。
by mishimahiroshi (2010-09-28 08:05) 

signaless

私もよく(というよりいつも!)浜垣さんのサイトから
テキストをいただいているので…大いに反省しました。

この詩「春光呪詛」こそ、その女性のことかもしれませんね。
第1集以後の詩・文語詩にも、その恋の名残があるはずなので、探してみようと思っていますが…。
「春と修羅」の「春」とは、まさに「恋」のこととも思えます。

ところで「頬がうすあかく瞳の茶いろ」の女性は見つかったでせうか。(笑)

by signaless (2010-09-28 09:17) 

青蜩庵主人

 これは私の勝手な意見ですが、特定の女性に限定しなくてもいいのじゃないかと考えます。
 私の男性としての経験からして、青年期の性的欲求の激しさは、かなり女性的な恋の感情とは異質なものをもっていて、正直奇麗事ではないのだということが出来ます。
 当然のことながら賢治さんもれっきとした男でありまして、人一倍そういった衝動が強かったかもわかりません。それはストイックな状況に自分を押し込めればするほど、その度合いを増すものだからです。
 しかし、賢治さんはそういった煩悩をおしとどめて、もっと崇高な精神の高みに行こうとしたのではないでしょうか?
 もちろん特定の人に向けた恋愛感情は充分考えられることであり、それはごく自然なことであるのですが・・・・・。そうしてそのことを充分理解したうえで(男女の営みが尊いことだと認めたうえで)、自らはそれから逃れ、広く万人への愛の形を求めていった。それがひとつの修羅との闘いであったのではないでしょうか。私たちはすぐに欲望に屈服してしまいがちですが、彼はそうではなかった。
 それは修行僧や伝道者のそれとはまたちょっと意味合いの違うもののようにも思います。
 賢治さんの詩を読んでいると、その時々の正直な気持ちの吐露、魂の告白が聴こえて来ることがあります。こんな詩を書いた人は、世界中探しても彼しかいません。
by 青蜩庵主人 (2010-09-28 13:48) 

signaless

青蜩庵主人様、ありがとうございます。
「特定の女性に限定しなくてもいいのじゃないか」ということは、私もそのようにも思います。
相手が特定されることは、あまり意味がないというか…。
これまで明らかになっている女性達にしても、そっとしておいて欲しかった人もいます。誤解や噂に翻弄されたと思われる人もいます。
ただ、やっぱり、賢治はこの頃、「誰かある人」のことを想っていたのではないかと感じます。それゆえ余計に、せつなく壮絶に感じます。
性欲だけの問題ではなく、賢治は、心が伴侶を求めることも禁じようとしたのではないでしょうか…。

賢治は、大正7年に肋膜炎と診断され「自分の命もあと15年はあるまい」と親友に語りました。
そのことと、結婚を諦めていたことは無縁ではないと思います。自身の信条だけなら「やっぱりや~めた」」ということもできます。しかし、「結核」という病は重い十字架。相手のことを想えば想うほど、結婚など考えてはいけないことだったのではないでしょうか。

因みに、賢治が生涯を通して菜食主義というわけではなかったように、まったく女性を知らなかったかというと、私はそうではない気もします。

「自らはそれから逃れ、広く万人への愛の形を求めていった。それがひとつの修羅との闘いであったのでは」とのこと、私もまったくその通りだと思います。
by signaless (2010-09-28 18:45) 

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