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『ルバイヤート』(イーハトーブの旅・番外編) [本]

いきなりですが、番外編です。

二日目にイーハトーブ館で行われた
「第22回宮沢賢治学会イーハトーブセンター研究発表会」を聴きに行きました。

今年は3名の方の発表があり、
そのうちのお一人、穂束恵美さんという方が「賢治の少年」と題し
野尻抱影著「星の巡礼」からの「銀河鉄道の夜」への影響を述べていました。

私は最初のほうで触れられていた友竹藻風の邦訳による『ルバイヤート』に興味をそそられ
帰宅してから早速注文して手に入れました。
ありがたいことに、この本はロナルド・バルフォアの美しい挿絵で復刊されていたのです。

この本を実際に手にとってみて、
何点か気づいたことがあるので今回はそれを書いてみます。

まず、穂束さんは竹友藻風が野尻抱影と早稲田大英文科で机を並べたと言っておられましたが
藻風は京都帝国大学英文科選科修了となっており、
ウィキペディアにも同じことが書かれています。
ということで、はたして野尻抱影との接点が不明です。

それにエドワード・フィッツジェラルド英訳・竹友藻風邦訳の
『ルバイヤート』が出版されたのは大正10年。
保阪嘉内が『アザリア第4号』に「打てば響く」を載せたのは大正6年です。
嘉内や賢治がこの本を読んだという可能性は全くないとはいえませんが
少なくとも彼等が最初に『ルバイヤート』に触れたのはこの本ではないと言えます。

では、嘉内はどこで『ルバイヤート』に触れたのでしょうか。

そう思ってこの本と校本にある「打てば響く」の文中の英詩を見比べてみると、
その英語文が違っていることに気づきました。

復刻版の詩は
And that inverted Bowl we call The Sky,
Whereunder crawling coop'd we live and die,
Lift not your hands to It for help--for It
As impotently rolls as you or I

一方、嘉内の詩は
And that inverted Bowl we call The Sky,
Whereunder crawling coop't we live and die,
Lift not thy hands to It for help--for It
Rolls impotently on as Thou or I

う~ん、なんてこと。
もしや嘉内が読んだのはフィッツジェラルドの英訳ではなかったのかしら!?と
あわてて調べてみました。

するとフィッツジェラルドは生前に改訂・増補を加えながら第4版まで出版し、
さらには死後に第5版が出版されており、
訳詞語句の大きな改訂は第1版と第2版の間に行われたようなのです。

第 1 版-1859年  (75 首)
第 2 版-1868年  (110首)
第 3 版-1872年  (101首)
第 4 版-1879年  (101首)
第 5 版-1889年  (101首)

本の解説によれば竹友藻風のものはこの第2版を元に訳されているとのこと。

嘉内の詩と藻風の詩の一番の違いは
嘉内の詩は第1版であり、「あなた」を表すのがThou という古い言葉が使われていることで
藻風の第2版からは You という現代語が使われていることです。
つまり第1版とそれ以降のものは一目瞭然というくらい違いがあります。

そして、日本で『ルバイヤート』をまとめて訳したのは上田敏の1899(明治32)年が早く
それ以降の蒲原有明などによる数編の翻訳にしても、
すべて第4版をもとに訳されています。

注目は、1916(大正5)年から1917(大正6)年にかけて
受験英語誌『英語の日本』に15回に渡って連載された
小川忠蔵の訳注ですが、これもまた、第4版によるものでした。

つまり、日本で訳され紹介された『ルバイヤート』は第4版がほとんどで
第2版の藻風のものは珍しく、それにしても
嘉内の親しんだ第1版のものではないのです。

ということは、嘉内は第1版の原書か何かを読んだ、と言えるでしょう。
それを得るきっかけは甲府中学の嘉内の恩師であった野尻抱影だった可能性は大きいと思います。

ただ、以上のような理由から
嘉内及び賢治の、竹友藻風との接点や影響は考えにくいと思うのですが、どうでしょうか。


それから発表後の質疑応答の時間に、会場にみえた男性から質問のあった
配布資料のルビの件ですが
「黄水晶」にふられていた「トパーズ」への疑問に対し
穂束さんは、賢治がふったものだと断言していましたが
校本を調べてみても、どこにもルビは見あたりません。

同じく引用されていた『銀河鉄道の夜』の「アルビレオ」の文、
「眼もさめるやうな青宝玉と黄玉…」の部分にもルビはありません。


賢治が抱影から影響を受けていたということは
以前からいわれていたはずだと思いますし
この研究の題が「賢治の少年」というのがいまひとつ分からずじまい。

保阪嘉内が賢治にもたらした影響というテーマは
非常に興味があることだけに
検証が充分にされていない研究発表は残念な気がしました。

ただ、美しい『ルバイヤート』に注目するきっかけを作ってくださったので、
その点はとてもありがたかったのです。


追記(9月28日):
       国立国会図書館デジタル化資料で、大正10年発行の竹友藻風『ルバイヤート』が見られます。
       →こちら
       挿絵が美しいですね。
       但し、これには藻風の邦訳のみで、フィツジェラルドの英詩は掲載されていません。

追記2(9月28日):
       野尻抱影からの影響が以前からいわれていたと書いてしまいましたが、
       私の間違いで、草下英明さんが指摘していたのは
       吉田源治郎の『肉眼で見える星の研究』1922(大正11)年発行からの影響でした。
       ただ、そうなると、穂束さんの主張する、
       賢治が影響を受けたのが(『肉眼~』でなく)『星座巡礼』だという理由は
       何だろう、と言う疑問が残ります。
       

参考書籍:

☆『新校本 宮澤賢治全集 第十六巻(上)補遺・資料』(筑摩書房)

☆『ルバイヤート 中世ペルシアで生まれた四行詩』
     オマル・ハイヤーム 著/エドワード・フィッツジェラルド 英訳/竹友藻風 邦訳
     (マール社)

参考サイト:こちら→
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