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「シグナルがぬれ」ているわけ [思うこと]

前回にも書いた「賢治には恋人があったに違いない」に関する続きです。

その恋人とは大畠ヤスではないかという説があり、(澤口たまみさん『宮沢賢治 愛のうた』など)
私も、そうかもしれないと思っています。

ヤスは昭和2年4月13日に、結婚後渡った米国で結核のため亡くなっていますが、
賢治の詩に一〇七一〔わたくしどもは〕という作品があり、
その詩が書かれたのはヤスが亡くなってから一月半後、昭和2年の6月1日です。

賢治がヤスの死を誰かから伝え聞いて、
この詩を書いたのではないだろうかということは
澤口さんも『宮沢賢治 雨ニモマケズという祈り』(とんぼの本 新潮社)で触れられています。

私は最初は、結婚相手の男性の身になって書かれたのだろうかとも考えましたが、
ヤスが結婚したのは大正13年で、亡くなったのはその3年後です。
妻と暮らしたのが「ちゃうど一年」というのが引っかかります。
もちろん作品ですから事実とは違っても当然なのですが…。
一方、賢治が農学校を辞め、羅須地人協会として独居生活を始めたのは
大正15年の4月です。
ちょうどその一年後にヤスが亡くなったことになります。
まさか賢治が、他のひとに嫁いだ女性の「幻」と一緒に生活をしていたとは思いませんが
詩という作品にするにあたって、
儚いヤスの生涯に想いを馳せ、
賢治自身の淋しい生活と重ね合わせて生み出されたイメージかもしれません。

さかのぼって、5月7日には一〇五七〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕という詩を書いています。
その詩の最後の部分、

  そしてまもなくこの学校がたち
    わたくしはそのがらんとした巨きな寄宿舎の
   舎監に任命されました
   恋人が雪の夜何べんも
   黒いマントをかついで男のふうをして
   わたくしをたづねてまゐりました
   そしてもう何もかもすぎてしまったのです
     ごらんなさい
     遊園地の電燈が
     天にのぼって行くのです
     のぼれない灯が
     あすこでかなしく漂ふのです

この“恋人”が実際に雪の夜に通って来たかどうかは別として
恋人とのことを詩にしたと考えてもいいと思うのです。
 ここまでは澤口さんも書かれていることです。

「のぼれないたましい」とは
生き残った賢治自身の魂のことでしょうか。

そこで私は、ほかにも賢治がヤスの死を知ったという確証につながる手がかりはないかと
その前後の詩を読み返してみました。

すると、それと思われるキーワードがたくさん紛れ込んでいます。
主に『詩ノート』と呼ばれる、ノートに書かれた下書稿です。

5月13日には一〇六七『鬼語四』という短い詩。

   そんなに無事が苦しいなら
   あの死刑の残りの一族を
   おまへのうちへ乗り込ませやう

以下、日付順に、関連すると思った作品を書き出してみます。

6月1日には最初に挙げた一〇七一〔わたくしどもは〕の他に2編、
      一〇七二『峠の上で雨雲に云ふ』
     一〇七三『鉱山駅』
6月12日  一〇七四〔青ぞらのはてのはて〕
6月13日  一〇七六『囈語』
7月7日   一〇八〇〔栗の木花さき〕
7月10日  一〇八一〔沼のしづかな日照り雨のなかで〕

順番に詳しく見てみます。

一〇六七『鬼語四

 「無事が苦しい」とは、どういう意味でしょうか。
  ヤスをひとり先に死なせてしまって、
  自分だけが無事で生きていることへの苦しみではないのでしょうか。
  「四」という数字はもしかして「死」?

一〇七二『峠の上で雨雲に云ふ』 

  黒く淫らな雨雲(ニムブス)よ
   わたくしの暗い情炎を洗はうとして
   今日の旅程のわづかな絶間を
   分水嶺のこの頂点に登って来たのであるが
   全体 黒いニムブスよ
     ……翻訳家兼バリトン歌手
       清水金太郎氏の口吻をかりて云はゞだ……
   おまへは却ってわたくしを
   地球の青いもりあがりに対して
   風の城に誘惑しやうとする
   (中略)
わたくしをとらうと迫るのであるか

私は、賢治はここで二年前の【種山ヶ原詩群】と呼ばれる一連の詩のモチーフを取り上げています。


二年前、「かきつばたの花をなんぼんとなく折って」「ひとりの貪欲なカリフ」となった賢治は
   「靭ふ花軸をいちいちにとり
   あの噴泉を中心にして やがてはこゝに
   数箇の円い放射部落を形成して
   そのうつくしい双の花蓋を
   きららかな南の風にそよがせる」

   (三六八 『種山と種山ヶ原』   一九二五、七、一九、)


じつに官能的なこの詩は、当時別れた恋人への押さえきれない情愛を詩っていますが、
再び二年後のこのとき、その想いを蘇らせているのではないかと思うのです。
そして、ふたたびその暗い情炎に引き込もうとする黒い雨雲に
私をそっち側にとってくれるな、と言っているのではないでしょうか。

この一〇七二『峠の上で雨雲に云ふ』は
次のように「県技師の~」という題名に変化していることからもそれが伺えると思います。
もっとも種山ヶ原詩群では「耕地課技手」ではありますが。

ちなみに

 →『県技師の雲に対するレシタティヴ』では
「わたくしの暗い情炎」とあった箇所が

   「小官が任地の町の四年の中に受理したる
    心的創痕を
    洗ひ去らうと企てゝ
    今日の出張日程の」

→ 『県技師の雲に対するステートメント』では

     「また山谷の凄まじくも青い刻鏤から
      心塵身劬(く)ひとしくともに濯はうと」

というふうに、
賢治の詩が文語詩化されるとき
極力そぎ落とされ簡素化されるのとおなじように
『春と修羅 第3集』として編まれるときには
心情の生々しさは巧みに隠され、押さえた表現になっていきます。


一〇七三『鉱山駅』では
「シグナルもぬれ」というフレーズが2回でてきます。
 まさにシグナレスを失い、泣き濡れているシグナルの姿ではないでしょうか。
そして 「峠の上のでんしんばしらもけはしい雲にひとり立ち」とは
二年前に嘉内が結婚し、
向かい合って立っていたでんしんばしらが一本になってしまったかのような淋しさでしょうか。

 一〇七四〔青ぞらのはてのはて
青ぞらのはてのはて
      水素さへあまりに稀薄な気圏の上に
      「わたくしは世界一切である
      世界は移らう青い夢の影である」
      などこのやうなことすらも
      あまりに重くて考へられぬ
      永久で透明な生物の群が棲む

この永久で透明な生物のなかには妹トシとともに
ヤスの姿があったのではないか、と感じます。

一〇七六『囈語
囈語とは、 うわごと。ねごと。また、たわごとのことですが
「罪はいま疾にかはり
   わたくしはたよりなく
   河谷のそらにねむってゐる 」
という「罪」とは、まさに、ヤスを逝かせて
自分は生き残っているという罪悪感ではないのでしょうか。

一〇八〇〔栗の木花さき
 には
         今年も燃えるアイリスの花
      
       という一行、

一〇八一 〔沼のしづかな日照り雨のなかで
       には
          かきつばたの火がゆらゆら燃える
       
       という一行。

もういうまでもなくこれらも種山ヶ原詩群のあの恋人の化身「アイリス」です。


洞のやうな眼して
       風を見つめるもの……

うつろに風をみつめているのは
いったい誰なのでしょう。
異稿には「刈り手」とありますが
過去を見つめる賢治自身なのかもしれません。


以上のように、1927(昭和2)年の春の詩には
ヤスの死を賢治が知り、せつない想いに苦悩したと思われるような「言葉」がある、と
私は思うのですが、どうでしょうか。

最愛の妹・トシと恋人・ヤス、
二人が逝ってしまい、自分だけが生き残っている哀しみを
賢治は密かに抱き続けていたのではないかという気がするのです。



(※各作品は浜垣誠司さんの『宮澤賢治の詩の世界』に リンクさせていただきました)

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アヨアン・イゴカー

興味深い研究です。
一定の仮説を立てて読むことも大切だ、と感じました。折を見て、一度自分でも何かの傾向が発見できないが、読んでみたいと思いました。
by アヨアン・イゴカー (2013-04-18 00:06) 

signaless

アヨアン・イゴカーさま
ありがとうございます。

特に最近は夢想ばかりしていて、純粋に作品を楽しむことはもはやできない状態です。賢治にとっては、迷惑なことかもしれませんね~。
by signaless (2013-04-18 07:33) 

涼風

ライブ来ていただいてありがとう。はじめてよりましたがまだ何にも読んでません。今度ゆっくり読ませていただきます。yyyoshiro@gmail.comでお話出来ます。またお便り下さい。では、これからもよろしく!i今、青空のした、ベランダの金魚草を名眺めながら買ってきたイカを塩辛にしたり、大根と煮たりして、楽しんでます。
by 涼風 (2013-05-12 17:16) 

signaless

涼風さま

楽しいライブ、ほんとうにありがとうございました!
さっそく拙ブログにもアクセスしてくださって嬉しいです。

ほとんど賢治に関することでマニアック&妄想(!)が多いのですが
懲りずに覗きにきてください。

イカの塩辛を手作りですか!
さすが!
美味しいでしょうね~。

また伺える日を楽しみにしています♪
by signaless (2013-05-13 13:06) 

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