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誰が何のために「陰謀」? [思うこと]

ヒドリヒデリ問題にも関連することですが
このところなにやら“妙なもの”を感じるようになりました。


1・正しい?『銀河鉄道の夜』

ツイッターで偶然目にしたつぶやきによって
有名な社会学者のM台S司という人が
ブログに『銀河鉄道の夜』についてトンデモないことを書いているのを知りました。
1966年小2の時に初めて読んだ『銀河鉄道の夜』を、1968年に再度読んで仰天したというもの。

「弟・宮沢清六氏、最初の原稿整理者・森荘巳池氏、岩波版童話全集の編集者・堀尾青史氏の三者協議で、内容が大幅に変更されたというのです。
「カムパネルラの死の位置が変更され、セロの声をしたブルカニロ博士の挿話が削除されました。初期型と後期型と呼ぶとします。四十年間何度も読み返してきましたが、初読の印象が強かった点を割り引いても、初期型が正しい。病死まで十年間改稿が重ねられた作品で、賢治が死なななければ最終型がどうなったか判りませんが、必ず初期型になったはずです。 」

その後の部分の作品の評論に関しては
解釈は人それぞれ自由でありこの場では触れません。
が、この「初期型が正しい」とか「必ず初期型になったはずです」というのは理解できません。

このM台氏が「初期型」と呼んでいるのは、今の賢治研究での「銀河鉄道の夜 初期形」とは違い、
筑摩書房の昭和31年版全集までの誤り多い「銀河鉄道の夜」だったようです。

ただし、1968年に読んだ「後期型」というのがどういうものかは不明。
ブルカニロ博士の部分が削除されたのは1973年~77年発行の校本全集以降なので
それが消されていたというのはちょっとつじつまが合わないのです。
(ちなみに私が1980年頃に買った新潮文庫・角川文庫はともに
まだ最後にブルカニロ博士の部分が残っていました。)

「カムパネルラの死の位置が変更され」たという意味もよくわかりませんが
ともかく、何か清六さんと森さん堀尾さんの3人が勝手に削除してしまったかのような書き方ですし
きちんと調べる気があれば、簡単に、
本文が決定されるに到った経緯や研究のされ方がわかるはずです。
一般人ならともかく、大学教授で名のある社会学者の姿勢なのかと思うと残念です。
(ゆえに、その後の作品解釈において何の説得力もなくなってしまいます。
もっとも最初から私にはチンプンカンプンですが。)
その上、何故か最初に子供の頃に読まれたバージョンにこだわって
それが「正しい」と言い切ってしまわれることが不思議というよりなんだか恐ろしい気もします。


2・抹殺された?『風野又三郎』

そうこうしていたら、またまたツイッターにてこんなつぶやきがあるのを知りました。

「宮沢賢治の風の又三郎・銀河鉄道の夜って舞台山梨県だったことを昨日知りました。
初版本見たら確かに八ヶ岳と書いてあった。宮沢賢治の地元が後で書き換えたとかで
重版から場所変わっていた・・・・。」

個人攻撃をしたいわけではないのであえて誰の発言かは記しません。
私もまったく知らない方です。

確かに『風の又三郎』は八ヶ岳の部分が削られていますが
それは賢治自身の手によって話が大きく変更されたからです。

先駆型の『風野又三郎』には、八ヶ岳のサイクルホールの話が出てきます。
そしてそれは最新の校本全集にもちゃんと収録されています。
ややこしいのですが、『風の又三郎』は『風野又三郎』の重版ではなく、
まったく別の話ととらえていただくべきものなのです。
話を大きく変えたのは賢治自身ですし
ましてや「賢治の地元が後で書き換え」るなんてことはありえません。

これは何か、花巻側にとって山梨が舞台だと都合が悪いから
削除して書き換えたとでもいうようです。
何の都合が悪いことがあるというのでしょうか。
いったいどこの誰が、こんなことを言うのでしょうか。

山梨といえば保阪嘉内の地元。
賢治は嘉内から何度も八ヶ岳颪や風の三郎の話を聞いていたはずで
『風野又三郎』もこれらの話を参考に書かれたと思われます。

ところが、嘉内は賢治と宗教上の言い争いをしたまま、
別れることになってしまいました。
結局その時(大正10年7月)が、二人が会った最後だと推測されています。

そういうことを見聞きした人が、
「岩手の方では賢治の宗教の誘いを断って
喧嘩別れしたヤツなどケシカラン!という風潮があり、
山梨の話なぞ消してしまえということになった」
といった詮索をしたに違いありません。

これは、宮沢家と岩手の人々はもちろん、
保阪家と山梨の人々に対して、非常に侮辱したことです。


賢治の定稿に関しては
きちんと検証されて決定したものであり、さらに丁寧に校異として
細部にわたって誤字脱字でさえも確認できるように公表されているのです。
元の原稿に関しても、手続きを踏めばコピーを入手できます。
どこの誰であっても、たとえ宮沢家の人であっても
改竄することは全く不可能なことです。

そのことすら知らず、調べようともしないで
にわかに多少の知識を持った人の
妙な憶測によってトンデモナイことがまことしやかにささやかれる。

その矛先は遺族だったり関係者や地元だったり
研究会や機関だったり、特定の研究家だったり…

でもいったい誰が何のために???
そんな陰謀めいたことを疑うのでしょうか。

真面目な研究や探求心とはほど遠い
対極のところにあるものと思います。

週刊誌やネットニュースのゴシップ記事にとびつく、
あるいは人の噂をあることないこと言いふらしたり
視聴率さえとれればナンデモアリのTV番組などと同質のもの。

清六さんが「スキャンダル」と呼んだものの正体がここにある気がします。

George Harrison 『Devil's Radio』♪
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コメント 4

ryohe

しんじみやだい。
やだねー。
by ryohe (2013-10-20 11:46) 

入沢康夫

「カムパネルラの死の位置が変更され」について。
 筑摩昭和31年版全集までは、古い文庫版などで「(この間原稿五枚分なし)」とあった箇所に、《カムパネルラの死を知る》パートが挿入されていました。それが、筑摩昭和42年版全集では、作品末尾に移され(セロのような声や黒帽子の人やブルカニロ博士の登場はそのまま残して)、元の箇所には上記「(この間・・・)」の注記がなされたのです。その「有名な社会学者」さんが二度目にご覧になったのは、多分42年版全集でしょうが、一部記憶に混乱があるようです。
by 入沢康夫 (2013-10-20 15:12) 

signaless

ryohe様
珍しい苗字なので「M台」でピンときますよね。
単にMとしたほうがよかったかな、いや、したくなかった…。


by signaless (2013-10-21 07:56) 

signaless

入沢康夫様

「カムパネルラの死の位置」について、また各年代の本文の形について直々にご教示をいただきありがとうございます。
発表初期にはそのようなことがあったのですね。
賢治の生原稿を見ればそれを読み解くのがどれほど困難かがわかります。
確かにそんなバージョンを最初に読んでしまえば、お話がまったく変わってしまったという印象を持っても仕方のないことかもしれませんが…。

新校本には〔初期型一〕から〔初期型二〕〔初期型三〕も収録されていて、詳細に訂正や校正、構成の解説や成立過程などを明記していただいていますし、『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』(宮沢賢治記念館)も出版されていますが、じつは私などは全くの不勉強、読むというより眺めるだけで、ほんとうは偉そうなことなど言えないのです。
今回良いきっかけにもなりました、きちんと読んでみようと思います。
by signaless (2013-10-21 09:05) 

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