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「父子旅行」の意味と「問題の内面化」 [思うこと]

昨日、京都セミナー『修羅の誕生』について書きましたが
あろうことか、一番書きたかったことを書き忘れ。
(美味しいワインを頂いていたのでつい飲み過ぎたせいだけど!)

浜垣誠司さんのテーマ「宮沢賢治、京都に来る」は
大正5年の修学旅行と、
大正10年の父子旅行の京都の足跡を詳しく追ったものでしたが
講演の最後に仰ったことが非常に心に残ったのでした。
それは賢治にとっての父子旅行の意味についてであり、

それまでは賢治が「皆が法華経に帰依さえすればすべての問題は解決する」と思っていた、
つまりは本来自己内部の問題まで「外在化」されていた。
しかし、この旅行によって親子の信頼を回復し
自己の問題を「内面化」したところであり
自己の内なる矛盾を直視することになり、それが「修羅の誕生」になったのではないか。

…というようなことでした。

まさにそのとおりだと思いますし、
この時を堺に、賢治は大きく変化します。
私はそれには、嘉内との衝突も大きくかかわっていると思いますが、
つまり賢治を変えたのは、父と嘉内という、賢治にとって最も大きなふたりの存在だったのではないでしょうか。


さて、実は、この日このセミナーに参加するにあたって
私自身もある悩みを抱えており、
参加をとりやめようかどうしようかと直前まで考えていたのでした。

でもやっぱり後悔はしたくなかったので
思い切って京都行きの新幹線に乗ったのですが
そこでこの浜垣さんの
「本来は自己内部の問題まで外在化」していたという言葉を聞いて、それが心の底に深く響いており
セミナーが終わってからもいろいろと考え、
私自身の問題も、じつは自己の内部にあるのだということに気づかされたのでした。
思うようにいかないことを他人のせいにしていたのは、自分自身だと。

ほんとうの敵は自分の中にいる、とはよくいいますが
まさにすべての問題はそこに行きつくのではないか、という気がしています。


一〇五四
 〔何と云はれても〕

                      五、三、

   何と云はれても

   わたくしはひかる水玉

   つめたい雫

   すきとほった雨つぶを

   枝いっぱいにみてた

   若い山ぐみの木なのである



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