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賢治とトシ(迷いと証明)~『賢治の北斗七星』から2 [思うこと]

1.旅立ち

保阪嘉内との衝突の後、
賢治は深く自分をみつめ直したのだろうということを前回の記事で書きました。
わだかまりを残しては真の反省・改心はあり得ないと思います。

「ありのままの姿で生き、そこから何かをつかんでいくことへの覚悟」
と書きましたが、賢治が保阪嘉内という鏡を通して見た自分の姿は
「修羅」ではなかったでしょうか。

我に返って信仰を見直したとき
法華経、日蓮、国柱会に対しての迷いが生じたのだと思います。
信じてはいるが、他人に「これのみが正しい」と言い切ることができなくなったのです。
それはきっと信仰を心のよりどころにしていた賢治には
たいへんなことだっただろうと思います。

家出し上京していた賢治は、トシの病気の再発により花巻に戻り
農学校の教師の職を得て、新しい生活に入りましたが
心の深い部分においても新たな自己の道への旅立ちをしたのです。
詩集『春と修羅』の一作目『屈折率』は、
その第一歩を踏み出した賢治の心境かと思われます。


2.トシ

さて、トシと賢治の関係、信仰を考えてみます。
トシは日本女子大で成瀬仁蔵校長の影響のもと、
キリスト教やタゴール、メーテルリンク、エマソンの思想に触れています。
在学中、兄とは頻繁に書簡のやりとりをしていたことからも
少なからず賢治にもその影響があったであろうと推測できると思います。
そして彼女の信仰は、兄賢治のように、「何が何でも法華経」ではなく

宗派や宗教の違いをこえた宇宙の根本生命への信仰によって人びとは結ばれ、世界平和も実現する (『賢治の北斗七星』)

というものでした。
トシにとって大切だったのは、ひとつの宗教を選びとることではなく
「自分と宇宙との正しい関係」(トシ『自省録』)を得ることだったのではないでしょうか。 
     (※これらのことは山根知子著『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』に詳しい)

トシの死後、賢治は数々の挽歌で彼女の“行方”を安じています。
それは恐らく、法華経以外は邪宗であり、
信じないものは地獄に堕ちると説いた日蓮の影響だと思いますが
トシが法華経のみを信じていたわけではないことを
賢治自身がよく知っていたからではないでしょうか。
もしかしたら生前、トシが自分の宗教観を話し
賢治と多少たりとも議論になったこともあるのかもしれません。
一般にトシも賢治と同じ法華経を信じていたように言われていますが
それは詩『無声慟哭』の「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくし」
というフレーズからでしょうが、
「一つにする」というのは同じ宗教を信じるということではなく
お互いに理解しあおうとする、話し合える、という意味ではないのでしょうか。
トシが自身の本当の考えを話せる相手は、
兄・賢治しかいなかったということなのではないかと思います。

臨終の床で、ひとり旅立とうとしている妹に、
頼みの兄であるはずの賢治は、
この道が間違いないんだ、法華経さえ信じていればいいんだと
はっきり言いきってやることができなかったのです。
なぜなら自分自身も迷いの底にいるのだから。

  ただわたくしはそれをいま言へないのだ

      (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)  (『無声慟哭』)


賢治の哀しみが深いのは
大切な妹を導いてやることができなかったからではないでしょうか。
『永訣の朝』の「Ora Orade Shitori egumo」(あたしはあたしでひとりいきます )
というトシの言葉は
「私は私の信ずる道を行きます」ともとれないこともありません。
賢治は、トシにどれだけついて行ってやりたかったか、
たとえトシの行く先が地獄のような所であっても!
「わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
 泣いてわたくしにさう言つてくれ」(『松の針』)
という賢治の叫びが記されています。

賢治自身に迷いがなければ恐らく
「法華経を、日蓮聖人を信じていれば大丈夫だよ」というはずでしょう。
そして賢治自身も何も不安に思うことはないでしょう。
賢治には妹の耳元で、お題目を唱えてやることしかできなかったのです。

「嘉内とトシ、二人の大切な人にさえ
正しい道(宗教)を証明して見せることも俺にはできないのか。
賢治の深い悲しみと怒り、すなわち修羅とはそういうことではないでしょうか。
  《ヘツケル博士!
   わたくしがそのありがたい証明の
   任にあたつてもよろしうございます》(『青森挽歌』))

賢治がさがしに行きたかったのは
ジョバンニがカムパネルラとはぐれて求めたかったものと同じ。
正しい考えを「証明」すれば
誰もがみな幸せになれるはず…。

そして、宗教が目的ではなく、みんなのほんとうの幸いであり、
宗教はその手だての一つにすぎないことに
長い時間をかけて気づいていった、その変容の集大成が
『銀河鉄道の夜』なのではないでしょうか。


3.まとめ

嘉内との衝突によって
目が覚めた賢治は、迷いを解消し法華経が正しいことを証明しようと
新しい旅立ちをした。
賢治はその迷いの跡、証明にいたる道筋を
心象スケッチという方法で描き記すことをした。
ところが一年余りで、正しい道を示してやることもできないまま、
最愛の妹・トシはたった一人で逝ってしまった。

いっそうの苦悩をさらけ出してまで克明に記したのは何故か、
一番に見せたかったのは、嘉内ではなかったか。
己が「ひとりの修羅」でしかないと悟ったことを
嘉内に差し出したのではないか。
あるいは、失われたその後の書簡には
それらのことが綴られていたのかもしれないが。

自分の心が歩む道を赤裸々に伝えることは
お互いに相手を信頼し、尊敬しあって、共に歩む気持ちでなければできないこと。
もし、わだかまりがあったり本心では訣別しているような関係になってしまったなら、
かつて苦楽を共にし、心を打ち明けあい、
手に取るように相手の想いを分かり合えるような関係だった相手には、
とてもそのようなスケッチ=詩集『春と修羅』など
送る気持ちにはなれないはず。

賢治は、保阪嘉内とトシ、愛し尊敬し大切に思っていたふたりとの関わりによって
自己に向き合い、その真っ暗な深淵に飛び込んでいく力を得て
どこまでも突き進んでいったのだと思います。


〈おまけ〉

トシが日本女子大に入ったのは
大正4年、賢治が盛岡高等農林に入った年と同じです。
賢治の進学にあれほど難色を示していた父が、
妹トシに対しては上京してまでの進学をすんなり許したのは
彼女が才女だったためだけではなく、
その数ヶ月前に起きた恋愛がらみの中傷事件によるものであったことが、
末妹クニの長男・宮沢淳郎の『伯父は賢治』によって明らかにされました。
それに収録されたトシの綴った『自省録』には、
彼女の深い後悔と苦しみが刻まれています。

トシは才女で、非の打ち所のない立派な女性だったといわれてきて
しかも熱心な法華経信者だったとされてきた年月は長い。

彼女の姿を側で見てきた賢治だからこそ
なおさらトシの死を悼み、救ってやりたい、天上に生まれかわらせてやりたいとの思いは
いっそう深かったのだと思います。

賢治にせよ、トシにせよ、
あまりに理想像を創りあげてしまうと、見えなくなってしまうものが多いのではありませんか。
そしてそれは、賢治やトシの真の心を汲み取ることを遮断してしまいます。

嘉内に対しても言えることで
ふたりの友情の在り方を見誤ってしまうと
その後の賢治の誠実や生き様をも見誤り、
真摯に精一杯生きた彼らの道のりを知ることで得られるはずの
最も美しく大切なものを捨ててしまうことに他ならないと思います。
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アヨアン・イゴカー

大変興味深い考察です。
熱心な信徒ほど、排他的、独善的になります。しかし、賢治ほどの教養と知性の持ち主であれば、排他的、独善的であり続けることが不可能な筈ではないかと思われます。
記事を拝読していて、さもありなんと感じました。
by アヨアン・イゴカー (2012-05-15 23:16) 

signaless

アヨアン・イゴカー様

コメントありがとうございます。

毎日つらつらと賢治のことなどを考えていますが、
思いつくことがあってもなかなか記事のアップが追いつきません。
忘れた頃の更新になってしまいますが、
それでもいつも覗いてくださってうれしく思います。
ありがとうございます。
by signaless (2012-05-17 00:08) 

すずり

こんにちは。コメントさせていただくのは2度目です。

賢治の北斗七星という本があることをこちらで初めて知りました。
『宗派や宗教の違いをこえた宇宙の根本生命への信仰によって人びとは結ばれ、世界平和も実現する』というのはわたしも銀河鉄道の夜などの作品を通して強く感じていたメッセージなので、とても興味をもちました。
賢治作品そのものを自分の中で咀嚼する間もなく関連本を読んでしまうと、そのイメージが固定されてしまいそうという思いからなかなか手が出ないのですが、今回のように自分の思いと共感できるものや、考察するにあたって参考になるものももちろんあるわけですから難しいところですね。

宗教はほんとうのさいわいの手だての1つにすぎない、というsignalessさんの言葉にも同感です。
「信仰も化学とおなじようになる」とブルカニロ博士が言ってるのはまさにそのことで、宗教か科学かのアプローチの違いはあっても『この世界がよりよくなるためにはどうしたらいいか』から始まった両者はどちらが絶対というわけでなく、『どちらも1つの手だて』と言えると思いますね。

(古い記事へのコメント、それも長文になりすみません)

by すずり (2016-06-16 22:41) 

signaless

すずりさま

古い記事を探して読んで頂いてありがとうございます。
お返事がおそくなって申し訳ありません。

最近は、不本意ながらもブログを書くことからも遠ざかってしまっています。
でも、すずり様のように、過去の記事を読んでくださる方がいるので
本当に有難いことだと思っています。

この時も書きましたが、
賢治や取り巻きに関して、
伝説めいた固定観念で見てしまうことの弊害をより感じる昨今です。
私自身も、もう一度、全てのことを、まっさらな目で見てみたいと思います。
それは賢治に関してだけでなく、自分自身のすべてにおいても。

なんだかお返事になっていないですね(笑)
またぼちぼちと記事も書いていきたいと思っています、
今後とも、よろしくお願いします。


by signaless (2016-06-25 15:24) 

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