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魂の行方~『白い人たち』F.H.バーネット [本]

バーネットといえば『秘密の花園』や『小公女』、『小公子』などで知られる作家ですが
このあまり知られていない『白い人たち』という本をみつけ
題名と帯の言葉に惹かれて読んでみました。

読んでいる最中、私はずっとこんな本を読みたかったのだ、という気がしていました。

少女イゾベルには死者の魂が見えます。
といっても決して幽霊話や怪談ではなく
生きるとはどういうことか
「わたし」とは何かということが
この不思議な物語を通して語られているのです。

ここに在ることのよろこび。
そして他者の魂と通じ合える幸福。
それこそが生きるよろこびであり
存在することの意味なのかもしれません。

「わたしたちが偶然に起こるんだとか、たまたま起こったんだ、というふうに考えている事柄はすべて、生命の営みという織物の一部であると言ってもまちがいではない、と今のわたしは思っています。このことに対して本当にそうなのだろうかと疑問を抱きながら、こまかく観察してみれば、数々のささいな物事がそれたどうし関係し合いながら、結局はちゃんとした理由や意味につながっているらしい、ということも何となくわかってくるのです。ただ、わたしたちはまだ、そのことを明確に理解できるほどには賢くないんだと思うのです。偶然なんていうものはないのです。わたしたちはどんなことでも、自分たちで引き起こしているのですー悪いことが起こってしまうのは、わたしたちが、自分はまちがっているのか、それとも、正しいのかということがわからないからですし、または、そういうことをいいかげんにしておくからです。正しいことが起こる場合は、わたしたちがー無知のなかで生きていながらもー無意識のうちに、または、意識的に正しいものをえらんだからなのです。」

イゾベルの口を通して、バーネットは
『奇跡』などというものはなく、人々がまだ考えてみたことも、
認めたこともない神の法則が働いた結果としておこったものだ、と語ります。

確かにそうにちがいありません。
いいことも悪いことも、向こうからやってくるわけでは決してないのです。
それを自覚してこそ、自分の人生を生きることができるのではないでしょうか。

また、人が誰でも抱く『死』への恐怖に対しても
イゾベルはそのようなものは一度も抱いたことがなく
それはある時見た「夢」の助けによるからだといいます。

それは、ある夜、何のまえぶれもなく
それまで見たこともないようなやわらかく美しい月明かりのなか
丘の斜面の草の上に裸足で立っていた夢で
そのときに感じた無上のよろこび、幸福感…
「ー夜や空や溶けていくみごとな影の美しさをみていたのではありません。わたし自身がそれらの一部分だったのです。それらとひとつになっていたのです。わたしは何にもささえられていませんでしたー何もわたしをささえてはいなかったのです!月夜の美しさ、月光、空気がわたしそのものだったのです。そのことからくる無上のよろこびに、わたしはただもう、胸をぞくぞくさせながら夢中になり、また、おどろいているだけだったのです。」

自分はすべての一部であり
すべては自分なのだと感じることは
「魂」そのものを感じることであり、
イゾベルは、自分がどこから来たのでも、どこへ行くのでもない、
ということを覚ったのではないでしょうか。

死んだら何もなくなって終わりなのだという人がありますが
わたしにも、以前からなんとなくそうとは感じられないのです。

生まれ変わりがあるかどうかはわかりませんが
自分はすべての一部であり
すべては自分なのだとわかれば
イゾベルのように何も怖いことはないような気がします。


物語の最後は深い哀しみの中にあるにもかかわらず、
不思議にも澄み切った幸福感で満ちています。
なぜなら、イゾベルはいつも彼の魂とともにあることを知っているからです。


「いったい、何があたりまえで、何がそうではないのでしょうか?人間はまだ、自然の法則のすべてを学んだわけではないのです。自然というものは壮大で、豊で、終わりのないものであり、それ自身について新しいと思えるようなことが書き記された巻き物をいつもわたしたちの前に広げて見せているのです。書き記されていることは、実は、新しいことではないのです。それは、いつもそこに書き記されていたのです。でも、それが読み解かれることはなかったのです。破られた法則はひとつもありませんし、新しい法則というものもありません。ただ、通常よりも強力な目で読まれ。発見される法則があるだけです。」
「意識を持ったひとつの力である人間は、他のあらゆるもののなかでも、人間こそは。まだぜんぜん探求されていない存在であることにまったく気づいていないのです。」
「わたしたち人間はー自分自身について奇妙で頑固なうぬぼれを抱いているおろかな連中なんです。」
「自分たちは完全だと思っているんですよ、わたしたちは」

バーネットが100年後の地球と人類の姿を危惧していたかどうかはわかりませんが
ひとりでも多くの人に
人間とは何か、
わたしたちはなぜここにいるのか
何のために生きるのか、ということをこそ探求してもらいたいと願ったことでしょう。


「わたしはすべての一部であり、すべてはわたしである」
「ここにあった魂が、わたしたちの感知できない空間に移っただけである」
賢治とあまりに共通する感覚に
驚きながら読んだ一冊でした。

この本に出会えたことで、私は、
この先にどんな別れがあろうとも
まえよりもずっと、淋しくはないのです。
いえ、淋しいにちがいないのですが
ともにあることを感じることができるのです。

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない」 と思えること、
それは幸せなことです。

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コメント 4

アヨアン・イゴカー

自分は宇宙の一部であり、自分は宇宙全体でもある、こういう考え方はインド的な考え方のようですね。私もこの考え方をしています。万物に仏性が宿っているという考えをし、反対に自分は宇宙の一部に過ぎない、宇宙も自分も一体なのだ、と言う考えかたです。
by アヨアン・イゴカー (2013-02-11 22:06) 

signaless

アヨアン・イゴカー様
お返事が大変遅くなってすみません。

人間も宇宙の一部でしかないとわかっていれば
環境破壊もなく原発もないはずなのに、と思いますよね。

もっとも大切なことは学校では決して教えてくれないのに
テストの成績がよい者がほとんど国を仕切るシステム。
そして彼等は私利私欲でしか動きません。
そんな国家が先進国として世界を牛耳っている。
この地球という船はどこへ行くんでしょうか…。
by signaless (2013-02-24 18:55) 

嘆きの農夫

「白い人たち」で検索中の通りすがりのコメントです
私も「ずっとこんな本を読んでみたかった」のひとりです
3・11後、最も心に残る本のひとつといえます
時々思い返して評判を検索しています
「ヒースの荒れ野」は私にとって
第2の原風景となっています


by 嘆きの農夫 (2014-11-14 14:58) 

signaless

嘆きの農夫様
古い記事を探して読んでくださって、ありがとうございます。
バーネットの「秘密の花園」は大好きでしたが、
このような物語を書く方だと知ってなおいっそう好きになりました。
花々あふれる庭も素晴らしいけれど
「ヒースの荒れ野」のような風景の中に立ってみたいものですね。

亡くなった人々は、今もなお私に様々な影響を与え続けていること、
それゆえやっぱり私の中でほんとうに生きているのだ、と最近も強く思っていたところでした。





by signaless (2014-11-14 17:46) 

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