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『カチューシャの唄』Verve&Lily [音楽]

山梨を中心に活動しているボサノバのふたり Verve&Lily が、初めてのCDを出した。

『カチューシャの唄 声とギター』というCD。
タイトルのとおり、「ゴンドラの唄」など賢治や嘉内が親しんだ曲もある。

届いたCDを聴いて、ああいなぁと思った、
ずっときいていたい心地よさ。

しっとりと落ち着いた、それでいて儚げなリリィの声。
繊細で、強くてそれでいて主張しないギターはリリィを包み込む。

余分なものをいっさい省いて、声とギターの弦の震えだけで
こんなにも豊かな表現ができるものかと思う。


今朝また、ぽっかりと空いたひとりの時間にCDをかけたら
なぜか涙があふれてとまらなくなった。

今、巷に溢れるミュージックとは正反対のところにある音楽。
古い時代の歌ではあっても、込められているのは不変のもの。
それに、少しも古さなど感じられないのはなぜなんだろう。

音学や知識に乏しいのでうまく伝えられないけれど、
バーブさんのギターのコードやアルペジオ、演奏法などは
尋常ではないセンスなのではないだろうか。

一音一音、あるべきところにあって、響いて共鳴して消えてゆく。
どの曲も、余分な音も足りない音もないのは共通しているが
たとえば「ゴンドラの唄」のコード進行の絶妙。
それにギターの音がぴたりと止まりリリィの歌だけが進む部分があるが、
そこに込められた音にならないものにぐっときてしまったり。

「宵待草」のコードはいったい何なんだと思う。
まてどくらせど来ぬひとを、待ち続ける心に流れるのは
こんな透き通った深い深い藍色の和音に違いない。

「この道」のラストは、足下のこの道が、
おぼろげになって遙か遠くに続いていくように、
リフレインがフェードアウトしていく。

もっと聴き込めば、もっともっと気づき感じるところが出てくると思う。

よくぞふたりが出会ってくれたと思う、
こんな声とギターは神様が組み合わせたものに違いない。

因みに、CDの帯には、HPで試聴してからの購入を勧める文とともに
「18歳未満の方の購入はご遠慮ください」とある。
最初は意味がよくわからなかったが、
聴いているうちに、これはきっと
ハダカのリリィと
ハダカのバーブがここには居るのだから
子供にはまだちょっと早いからね、ということなんじゃないかなと思った。
そしてやっぱり、聴けば、ハダカになってしまう自分がいた。


  Verve & Lily ホームページ→こちら 
  Youtube 試聴→「夜来香」  
  アルバム『カチューシャの唄 声とギター』→購入先




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「戦争の親玉」 [音楽]

ボブ・ディランに「戦争の親玉」という曲がある。
彼は21歳でこの曲を書いた。
デビュー2作目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録。
1963年5月27日米国発売。

私がこの曲を初めて聴いたのは20歳頃。
そのときは正直意味がよくわからなかった。

1992年に開催されたボブの30周年を祝うコンサートで
スティービー・ワンダーが「風に吹かれて」を歌う前に
その曲がまだ歌い継がれていることへの悲しみを話していた。
そしてバールジャムのエディ・ヴェダーとマイク・マクレディがこの「戦争の親玉」を歌った。
若い彼等がこの曲を選んだことに深い意義を感じる。
それからまた20年。

世界は好転どころか、
この曲の重みが増していることに驚きと深い悲しみを覚える。



「戦争の親玉」

戦争の親玉さんよ
あらゆる銃をつくるあんたがた
死の飛行機をつくるあんたがた
強力な爆弾をつくるあんたがた
壁のうしろに隠れるあんたがた
デスクの下に隠れるあんたがた
ひとつ言っておくが
あんたがたの正体はまる見えだよ

破壊の道具を造ること以外は
何もしたことがないあんた
あんたは おもちゃのように
俺の世界をもてあそぶ
俺の手に鉄砲をもたせ
俺の目の届かない所にいて
いざ弾丸が発射されると
回れ右して真っ先に逃げ出す

昔のユダのように
あんたは嘘をつき欺く
世界大戦は勝つと
俺に信じこませようとする
ところが 俺はあんたの目は読めるし
あんたの脳味噌も
配水管の水のように透けて見えるぜ

あんたは他人に銃を持たせ
引き金を引かせようとする
あんたは後に控えて見物
死者の数はうなぎのぼり
あんたが豪邸に隠れている間にも
若者の身体から血は流れ
泥の中に埋められる

あんたは最悪の恐怖をふりまいた
安心してこの世で子供を産めない恐怖
まだ産まれず まだ名もない
俺の赤ん坊をおびやかしている
あんたの血管の中にも
ほんとうに血が流れているのかい

なにもわからないのに
いい加減なことをいうなと?
あんたはいうだろう お前は若い
あんたはいうだろう お前には学がないと
俺はあんたより若いけど
これだけは言える
神でさえあんたのやることを絶対に許しはしない

ひとつききたいことがある
あんたのお金はそんなにいいものか?
それで赦しが買えるのか?
そんなことができると思っているのか?
死神が来たときに
あんたにはわかるだろうよ
あんたの儲けた金ぜんぶ積んでも
魂を買い戻すことはできないと

あんたたちは死ねばいい
きっともうすぐだろう
そうしたらあんたの棺桶について行き
薄暗い昼下がりに
あんたが墓穴におろされ
死の床につくのを見とどけてやろう
あんたがほんとうに死んだと確かめられるまで
あんたの墓の上に立ってやる



"Masters Of War"

Come you masters of war
You that build all the guns
You that build the death planes
You that build all the bombs
You that hide behind walls
You that hide behind desks
I just want you to know
I can see through your masks.

You that never done nothin'
But build to destroy
You play with my world
Like it's your little toy
You put a gun in my hand
And you hide from my eyes
And you turn and run farther
When the fast bullets fly.

Like Judas of old
You lie and deceive
A world war can be won
You want me to believe
But I see through your eyes
And I see through your brain
Like I see through the water
That runs down my drain.

You fasten all the triggers
For the others to fire
Then you set back and watch
When the death count gets higher
You hide in your mansion'
As young people's blood
Flows out of their bodies
And is buried in the mud.

You've thrown the worst fear
That can ever be hurled
Fear to bring children
Into the world
For threatening my baby
Unborn and unnamed
You ain't worth the blood
That runs in your veins.

How much do I know
To talk out of turn
You might say that I'm young
You might say I'm unlearned
But there's one thing I know
Though I'm younger than you
That even Jesus would never
Forgive what you do.

Let me ask you one question
Is your money that good
Will it buy you forgiveness
Do you think that it could
I think you will find
When your death takes its toll
All the money you made
Will never buy back your soul.

And I hope that you die
And your death'll come soon
I will follow your casket
In the pale afternoon
And I'll watch while you're lowered
Down to your deathbed
And I'll stand over your grave
'Til I'm sure that you're dead.


Youtube映像
Masters of War - Bob Dylan

Masters Of War, live 1963

Eddie Vedder and Mike McCready 10/16/1992
エディの視線に注目。
彼がカンニングモニターを使用せず、歌いきっているということです。

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神田界隈と松野迅&三上満コラボコンサート [音楽]

二日目。
今年3月から副都心線と東急東横線・みなとみらい線が繋がったので
ライブのあった自由が丘から息子の住む練馬の最寄り駅までは一直線。
日付が変わってから到着し(不良母!)、駅まで息子に迎えに来て貰いました。
いくらおばさんでも夜中に一人歩きは怖い。
 
翌朝はふたりで飯田橋まで出て
神楽坂のスタバでゆっくり朝食。
息子は授業があったのでまた駅前に戻って別れました。

実は急遽上京が決まったので11日は当日の朝になってもはっきりとした予定がなく
神田でもぶらぶらしようかなと思っていたところ、
なんと友人が東京に向かっていることを知ってびっくり。

神田ではちょうどお祭りをしていましたが
雨のせいかそれほどの混雑もなく。
お茶の水で降りて聖橋やニコライ堂をみてから
神保町へ向かって歩いていたら聞き覚えのある建物が…
「カザルスホール」…ん?「カザルスホール」?
そこは、昭和6年9月、石材見本の重いトランクを下げ上京し
宿に着くなり発熱し病臥することになった八幡館の跡地。
→「緑いろの通信」さん「東京の賢治」
亡くなる丁度二年前にあたるその日9月21日、
この旅館の一室で、賢治は覚悟し、父母宛てに遺書を書いたのでした。

hiziribashi.JPG聖橋より

nikoraido.JPG賢治&嘉内思い出のニコライ堂

kazarusu.JPGカザルスホール


それから四谷に行き友人と合流、
松野迅さんというヴァイオリニストと教育家・三上満さんのコラボコンサートへ。
当日に友人に聞き、開催を知ったのです、
こんな素晴らしいコンサートに偶然出会えるなんて!
これまたびっくり。

I 星めぐりの歌 II 松野迅ヴァイオリンコンサート
出演者 I部:三上 満(お話し),松野 迅(指揮),松野迅後援会有志(合唱)
   II部:松野 迅(Vn),榎田匡志(Pf)

曲目 「宮沢賢治と音楽」,モーツァルト:春へのあこがれ,宮沢賢治:星めぐりの歌,保阪嘉内:勿忘草の歌,瀬越 憲=松野 迅編:すみれ,カサド:親愛なることば 他

 三上満さんのお話は、賢治と嘉内の友情と深い絆、藤原嘉藤治のことなど、
わかりやすくなおかつ心に染み入る素晴らしいものでした。
嘉内の「勿忘草の歌」も歌われ、
合唱隊は体育館の観覧席、あるいは桟敷のように両側の上で歌います。
天から降りてくるような歌声、
偶然にもここにくることができた喜びと不思議、もあいまって
賢治と嘉内が天から届けてくれた、そんな気がして胸がふるえました。
賢治の「耕母黄昏」 は松野さんと三上さんの歌。
温かくて素晴らしいハーモニー。

松野さんのヴァイオリンは優しく、そして強い、うっとりするような音色。
音に魂を込めるというより
そんな生やさしいものでなく
松野さん自身が音そのものになる、そんな挑みかた。
何かが降りてきて憑依するのではなく、
自ら飛び込んでそのものになってしまう。
そして観客は音そのものに包み込まれる、
それはそれは素敵な融合…。

三上さんは80を過ぎてなお、精力的に活動され
さまざまなところで賢治の話をされているようです。
間もなく『賢治の旅 賢治への旅』(本の泉社)を出版されるようで
それにはここで話された賢治と嘉内のことや藤原嘉藤冶のこと、
被災地のことなどが書かれているようです。
発売が待ち遠しい一冊です。

こんなことがあっていいのか!というくらい楽しく感動の二日間。
このところ仕事も忙しくたいへんだったのですが
こんなに幸せを感じられることがあれば
また明日からもがんばれます、
ありがとー!
また会いにいくよー!

※曲のリンクは浜垣誠司さんのサイト!

夢は叶う! [音楽]

5月10日(金)・11日(土)と一泊で
一人暮らしの息子の様子見もかねて(口実!?)
東京に行ってきました。

むかしむかし、
小学6年生の私が一目惚れしたのは
TVの中でフォークギターを抱えて歌うデュオ、のうちのひとり。

2年に満たない活動期間の後、彼等が突然解散・引退してしまったこともあって
それ以降、なんの情報もわからないまま
心の奥に仕舞い込んだ思い出。

時は流れに流れて約30年後、
インターネットという文明の利器のお陰で
その人がライブ活動を再開しているということがわかった時の懐かしさとよろこび。
私と同じようなかつてのファンが少しずつ集まって
現実にも会って交流ができるようになりました。
そしてその頃から、いつかライブに行きたいという思いを強くしていきました。

三つ子の魂百まで…?
一度とことん好きになったものは心に染みこんでいます。
それがたとえ小学生の小さな胸であっても。
振り返ればビートルズだって、賢治だって、
その後の数年の間に触れたものが
いつまでも私の核を形作っているように感じます。

彼等は私に音楽の楽しさ素晴らしさを教えてくれたような気がします。
その後に洋楽に嗜好が向いていったのも
もしかして彼等の影響かもしれないのです。

さてさて、そう言うわけで
38年越しの想い、つまり、「生のライブを見る!」
という念願を叶えることができたのですが、
当時の溢れんばかりの若さとパワーもよかったけど
その頃にはない大人のテイストを
バンド編成で届けられる音から感じました。
幾つになってもおちゃめな人柄も変わっておらず、
懐かしい京都弁も変わらず、
そんなところが好きだったことを思い出しました。

今回は当時の曲をたくさんやります、といわれていたライブ。
前もってのリクエストに応えてもらった思い出深い一曲にとどまらず
奇しくも私の大好きな曲の目白押しに
感無量の一夜でした。

さて、もう一つ嬉しいことは
私の憧れのその人、北方義朗さんという方が
じつは宮沢賢治が好きでいらして
そのことも少し話しをさせてもらったこと。

お母様亡き後、北方さんをずっと見守ってこられた伯母様が
亡くなる直前まで読んでおられたというのが賢治作品。
机の上には読みかけの
「セロ弾きのゴーシュ」が開かれたままだったといいます。
そのことを以前に聞いていたこともあって訊ねてみたのです。

北方さんは賢治の詩も好きで読まれることがわかりました。
一般に賢治が好きという方のなかでも
実は、詩まで読んで好きという方は少ないように思います。
童話と違って取っつきにくいことが敷居を高くしているのだと思いますが
その世界を読み込んでくれていると知って感激したのでした。

もったいぶっていたわけではありませんが
その二人組の名前は「ちゃんちゃこ」というのでした。
みなみらんぼうさんの「空飛ぶ鯨」や「黄色いカラス」という曲を
覚えているひともいるのではないでしょうか。
デュオのもう一人の方も京都で音楽活動されていて
来年には再びビッグな計画があるとのこと。
そしたらそれはもう行かないわけにはいきませんが。

音楽とおしゃべりとワインが最高に楽しかった夜、
思うのは、その場を共有し共感できる仲間がいることが
そのよろこびを何倍にもしてくれること。
再会した人、初めて会えた人、嬉しかったです、心から感謝!

思い続けていれば
いつかは叶う、ということを再び実感した一夜でした。


そして二日目にも実に不思議でびっくりなことがあったのですが
それはまた次の機会に。


ウクレレ革命=『マイティ・ウクレレ』 [音楽]

名古屋栄のパルコ8階のセンチュリーシネマにて
映画『マイティ・ウクレレ』を観てきました。

マイティウクレレ.jpg

公式サイト

ウクレレ好きはもちろん、そうでない方も
機会があったらぜひ。

ウクレレという楽器への概念が変わりますよ。
そして必ず自分も弾いてみたくなるはず。

いつでもどこでも誰とでも
楽しくて簡単で、へたくそでもなんでもいい。
楽しいことが音楽だ!
プロと初心者が一緒に楽しめる、それがウクレレ。

実際、国や文化の境界線をカンタンに無くしてしまうのです。

もし宮沢賢治がウクレレを知っていたとしたら…?
セロやヴァイオリンやオルガンの楽団もいいけれど
きっとみんなでウクレレを弾いて
歌って踊ったに違いない!
そんなこともふと思ったりもしました。

さぁ、今年は私ももっとウクレレがんばろう。
(がんばるといっても肩に力が入ることなく
気楽にがんばれるのが何よりなんです)

ウクレレ革命なら戦争をなくし世界をひとつにできる。
映画を観ながら、それは決して夢じゃない!と思えてきたのでした。


ダークネスに気をつけろ [音楽]

再びジョージ・ハリスンですが、
今回は全くの個人的にですが賢治との関連の話。

「Beware of darkness」という曲です。
訳すと「暗闇に気をつけろ」ですね。

〔以下訳詞〕

ほら注意しろ、用心するんだ
降ってくるものに気をつけろ
君の周りに落ちてきて
痛みは指先にまで伝わってしまう
暗闇に気をつけろ

ほら注意しろ、用心するんだ
消えない不安に気をつけろ
頭の中をかき回され
絶望に取り憑かれる
真夜中の静寂のなかで
悲しみに気をつけろ

君を打ちのめし
君を傷つ痛めつける
けれど君はそんなもののために生きているのではないはずだ

ほら注意しろ、用心するんだ
音のしない靴を履いた者たちが
踊りながら歩道を進むのに気をつけろ
正気を無くした者たちが
あてもなくさまよう
マヤ(幻想)に気をつけろ

ほら注意しろ、用心するんだ
貪欲な指導者に気をつけろ
奴らは君を間違った方向へ連れて行く
その間にもウィーピング・アトラス・シーダーは
どんどん成長したがっている
暗闇に気をつけろ



じつはこの曲を聞くたびに思い浮かぶ場面があり、
逆にその場面を描くたびに流れる曲が、
この「Beware of darkness」です。

その場面とは賢治の手紙の中に。
大正7年から10年にかけて
暗い店の帳場で古着の山に埋もれて店番をしていた時期に
保阪嘉内にあてて書いた手紙の数々。

たとえば書簡89の
「世界に黒い河が速にながれ、沢山の死人と青い生きた人とがながれを下って行きまする。」


書簡152aの
「けれども私の生活をよそから脉めたら実に静な怠けたものでせう。きまった本をも読まず、きまった考をも運ばず、玉菜に虫が集れば構はず私の目が疲れてかすめぱ他人の目と感ずる。私はいまや無職、無宿、のならずもの、たとへおやぢを温泉へ出し私は店を守るとしても、岩手県平民の籍が私にあるとしても私は実はならずもの ごろつき さぎし、ねぢけもの、うそつき、かたりの隊長 ごまのはひの兄弟分、前科無数犯 弱むしのいくぢなし、ずるもの わるもの 偽善会々長 です。なにが偽善といふならばこうすれぱ人がどう思ふと考へる。何がさぎしと尋ねれば、きれいな面白い浮世絵をどこかで廉く買はうと考へる。その他は説明の限にあらず。」


それから書簡154の
「わがこの虚空のごときかなしみを見よ。私は何もしない。何もしてゐない。幽霊が時々私をあやつって裏の畑の青虫を五疋拾はせる。どこかの人と空虚なはなしをさせる(略)これがわれなりとは誰が証し得るや。触るれば感ず。感ずるものが我なり。感ずるものはいづれぞ。いづちにもなし。いかなるものにも断じてあらず。
見よこのあやしき蜘蛛の姿。あやしき蜘蛛のすがた。」

などなど…。

閉塞感と孤独。
見えない未来。

 悲しみに気をつけろ
 マヤ(幻想)に気をつけろ
 暗闇に気をつけろ

嘉内と出会った頃
全知の神「ダークネス」を演じた賢治は
目の前から嘉内が去った後、暗闇の中でひとりもがいていました。

悲しみで絶望に陥らないように
マヤ(幻想)に取り憑かれないように
暗闇に飲み込まれないように
賢治はついには「家を出る」という行動に出ざるをえなかったのでしょう。


ですからそんな具合に
私のなかでは、当時の賢治の姿を思うとき
この曲がまるで映画のBGMのように流れてしまうのです。

youtube


「Beware of darkness」
      ~George Harrison      

Watch out now, take care
Beware of falling swingers
Dropping all around you
The pain that often mingles
In your fingertips
Beware of darkness

Watch out now, take care
Beware of the thoughts that linger
Winding up inside your head
The hopelessness around you
In the dead of night
Beware of sadness

It can hit you
It can hurt you
Make you sore and what is more
That is not what you are here for

Watch out now, take care
Beware of soft shoe shufflers
Dancing down the sidewalks
As each unconscious sufferer
Wanders aimlessly
Beware of maya

Watch out now, take care
Beware of greedy leaders
They take you where you should not go
While weeping atlas cedars
They just want to grow, grow and grow
Beware of darkness



おまけ♪
「バングラデシュ難民救済コンサートライブ」

「ジョージの追悼コンサート『コンサート・フォー・ジョージ』でのクラプトン」
(バックでアコースティックギターを弾いているのはジョージの一人息子ダーニ)

世界が目覚める日 [音楽]

数週間前にふと思い出して以来、
ずっと頭の中で鳴っている曲があります。

1971年8月、アメリカのマジソン・スクエア・ガーデンで行われた
バングラデシュ難民救済コンサート。

シタールの師ラヴィ・シャンカールから助けを求められ
ジョージ・ハリスンがミュージシャン仲間を集めて開催したものです。

この曲は、そのコンサートの翌日に書かれたようです。
パキスタン内戦による難民を思い、
当時の世界の指導者や政治家・権力者に対して抱いた怒り。

あれから40年。
少しは世界はよくなったでしょうか。
核兵器や原発のことを考えると、とてもそうとは思えないのですが。

それでも、
いつかほんとうに世界が目覚める日が来ることを信じて…。


『The day the world gets 'round』
         ~George Harrison

The day the world gets 'round
To understanding where it is,
Using all it's found,
To help each other, hand in hand

The day the world gets 'round
To understanding where it's gone
Losing so much ground
Killing each other, hand in hand
Such foolishness in man
I want no part, of their plan - oh no

If youre the destructive kind
Now I'm working from day to day
As I don't want to be like you
I look for the pure of heart
And the ones that have made a start,

But lord, there are just a few
Who bow before you,
In silence they pray,

Oh how they pray for the day the
World gets round

Using all theyve found
To help each other, hand in hand

The day the world gets 'round


その日 世界はついに目覚め
今のあるべき姿を理解するようになる
あらゆるものを活用し
互いに助け合う 手に手をとって

その日 世界はついに目覚め
過去の愚行を理解するようになる
たくさんの土地を失い
互いに殺し合う 一緒になって
かくも愚かな人間の営みよ
僕はそんなものには加わりたくはない…絶対に

おまえがもし 破壊や暴力を好む人間なら
僕が今 毎日働きつづける理由を言っておこう
それはひとえに おまえのようになりたくないからなのだ
僕は純粋な心の持ち主を捜している
彼らが行動を起こすことを期待している
だが 神よ あなたの前で頭をたれ
静かに祈りを捧げる者たちは
まだごくわずかにすぎない ああ
その少数の者たちは 世界が目覚める日を
どんなに待ち望んでいることだろう

あらゆるものを活用し
互いに助け合う 手に手をとって

その日 世界はついに目覚めるのだ

(訳:山川真里「ジョージ・ハリスン自伝」より)
     ※「おれ」を「僕」に変えてあります

you tube

※この曲はアルバム1973発表の「Living in the Material World」に収録

朝からKO [音楽]

TRIPLANEというバンドの「モノローグ」という曲。

「緑いろの通信」にて紹介されていたのですが
知らないバンドだったので検索してみました。


朝から涙でした。

宮沢賢治の愛した音世界~2台の足踏みオルガンとうた~ [音楽]

オルガン1.jpg

今日10月31日、近くの図書館での催しに行ってきました。

タイトルにあるように、賢治の歌曲を
2台の足踏みオルガンで演奏し、歌うというものです。

プログラムは次のとおりです。

パートⅠ

1 交響曲第5番 第2楽章より チャイコフスキー作曲
2 星めぐりのうた
3 北ぞらのちぢれ羊から
4 牧歌
5 剣舞の歌
6 牧者の歌
7 ポラーノの広場の歌
8 月夜のでんしんばしら
9 「イーハトーボ農学校の春」より抜粋
10 交響曲第9番 終楽章より  ベートーヴェン作曲

パートⅡ

〈セロ弾きのゴーシュ〉
1 アヴェ・マリア  シューベルト作曲
2 アヴェ・マリア  グノー作曲
3 トロイメライ   シューマン作曲
4 印度の虎刈り  杉浦&宍戸バージョン
5 ハンガリアン・ラプソデーより  ホッパー作曲
6 交響曲第6番「田園」第1楽章より ベートーヴェン作曲
〈銀河鉄道の夜〉
1 賛美歌“主よ御許に”第249番  L.メイソン作曲
2 交響曲第9番「新世界より」第2楽章より ドヴォルザーク作曲
3 「種山ヶ原」


オルガンの演奏は杉浦宏美さんと宍戸理恵さんという
近隣にお住まいの音楽家の方々。
歌は宍戸理恵さん。

昭和2年生まれのストップが4本ついている立派なオルガンと、
もう1台は昭和28年うまれの家庭用のシンプルなオルガン。
どちらもとても温かい音色で音量もたっぷり。
足踏みオルガンがこんなに豊かな音を奏でるとは思ってもみなかったので驚きました。
オルガンで聴く交響曲もなかなか素敵です。

オルガン2.jpg

最初に賢治の生涯を簡単に紹介し
作品の説明の後に演奏と歌がはいる形で
賢治をあまり知らない人も、充分その魅力に触れられたと思います。
とてもいい演奏会でした。

そういえば、現在、花巻農業高校にある「賢治先生の家」=羅須地人協会の建物にも
賢治が使ったオルガンが置いてありますが
今は壊れてしまって、手を触れることができないようになっています。

この演奏会に使ったものも、何十年も壊れたままになっていて
それを修理して蘇らせたものだそうです。

あの賢治の住んだ建物の中で
このような演奏会があったら、どんなに素敵だろうと思いました。

ぜひとも実現しないものだろうかと願います。

「俺らいちぬけた」 [音楽]

私は岡林信康も好きなのですが
彼の歌に「俺らいちぬけた」というのがあります。
これを聞くたび、似てる…と思い続けていました。

とりあえず歌詞を。


  「俺おいらいちぬけた」

  田舎のいやらしさは 蜘蛛の巣のようで
  おせっかいのベタベタ 息がつまりそう
  だから俺らは 町に出たんだ
  義理と人情の蟻地獄
  俺らいちぬけた

  ところが町の味気なさ 砂漠のようで
  コンクリートのかけらを 食っているみたい
  死にたくないから 町を出るんだ
  ニヒリズムの無人島
  こいつもいちぬけた

  考えてみりゃ 俺らも生きもののひとつ
  お天とう様がなかったら 空気も吸えなんだ
  花や鳥の中に 俺を見たんだ
  命あるものの 流れに沿って
  今夜町を出よう

  命あるものの 流れに沿って
  今夜町を出よう



賢治が大正10年に「田舎」の家を飛び出して、
「町」である東京に出たものの
そこでの生活に落胆し、挫折。
でもそこから掴んだことがあった。
目指した場所は、生きとし生けるもの輝く「イーハトーブ」…


この歌を聞くたびに
大正10年の賢治の姿と重なってしまうのです。


「いちぬけた~」というのはなんだか逃げるようで
マイナスイメージがあるかもしれませんが
ときには思い切ってぬけてみるのもいいことかも、と思ったりします。

一度そこから離れてみれば
違うものが見えてくることもあります。
そうして初めて得られるものもあるのではないでしょうか。

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