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口語詩 マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン [保阪嘉内]

10月の「碑前祭」で金田賢一さんが朗読してくださった作品、
保阪嘉内の口語詩『マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン』。

ずいぶん前に、アザリア記念会の向山三樹事務局長より送って頂いていたのに
掲載が遅くなってしまいました。
まことにすみません~。

kanai.jpg

口語詩
マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン  1915年8月2日

解説
この詩は1915年(大正4年)8月2日の作 嘉内は 甲府中学を卒業し家業を手伝いながら受験浪人中 19歳
当時は妹4人 千代17歳 こと14歳 きのえ11歳 八重7歳 弟 次郎3歳 がいた。文中のジローの名前は弟からとった。
『カチューシャの唄』(カチューシャのうた)は、1914年(大正3年)に発表された日本の歌謡曲、ならびに同楽曲を題材にした同年製作・公開の日本の短篇映画である。
楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。劇団芸術座の第3回目の公演であるトルストイ原作『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。翌年の1915年(大正4年)には『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売された。歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となった。

口語詩
マイ リトル ブラザー ジローズ ジョン


              嘉内作 2575.8,2(注 西暦1915年8月2日)

私がお友達のとこから
帰ってきた 夕方だっけ
JOHNよ、お前が居たのは
私の三番目の妹が
「兄さん こりゃ車屋の 勝ちゃんからもらったので 小さい男の犬だ」
と言って お前を見せたっけ
私の三番目の妹が 「兄さん こりゃ車屋の 勝ちゃんからもらったので」
と言って おまえに見せたっけ

私が帰ったときに 二番目の妹は ジョンよお前に名前がなかったから
ポチと名前を名づけたと云った

しかしジョンよ わたしはポチがきらいだ
それは いやしい犬を連想するからだ

それで私は考えた お前の名前について考えた
そしてジョンよ ジョンが一番よかろうと 云うので
それからジョンとお前をよぶことにした

お前はまだもらってから 二日ばかりしかたたないのだ
それだが よく お前は大勢になついた
ジョン!!と呼べば来るように 私にも弟にも妹にも お前はよくなついた

お前は尾を棹って(ふって)飛んできた お前はえさをやればみんな食べた
お前は足や手にざれついた

お前はほんとによい犬だ 褐色の毛のふさふさした
他の犬に似ず いい犬だほんとに!

一番目の妹が お前があんまり可愛い(いとしい)から
桃色のメリンスで 首にかける 紐を縫ってやった

弟がお前に小さい鈴をやった そんでもお前は「ありがとう」とも云わないで
泥の中で遊んで 紐も鈴も真っ黒にしてしまった
しかしジョン 私は かわいいお前をおこらない
お前は私の弟と遊ぶ 弟もお前も小さいから
飯時も忘れて 弟は裸足になって お前は真っ黒くなって

弟はお前の尾をひいたり 毛をひっぱったり つるしあげたり 口づけしたりする
お前はその時 弟のする通りに ざれついて遊ぶ
それでわたしの掃いた庭が 弟とお前の足跡で一杯になる
しかし私は弟をもお前をも 少しもおこらない どっちも可愛いから

それで私はお前を マイ ブラザーズ ジョンと云っているのさ
まったくお前は マイブラザー ジローズ ジョンだもの
それで家中だれも誰も みんなお前を可愛がっているのだ

今日私がお墓の草を取って帰ってくると
えーお墓というのは私たちのご先祖が住んでいる所なのだ
ジョンよお前も 父さん母さんそしてご先祖に 立派につかえにゃならんのだよジョンよ

そのお墓から帰ってくると お前はいつもの様に 尾を棹って(ふって)
私にざれついたっけね
私はお前が可愛いから 両手で抱き上げたっけねお前を
お前も喜んだね  その時には

しかし私はお前が知っているとおり臆病だからね
お前の毛が濡れているので びっくらして両手を つと(急にの意)離したらね
小さいお前だもの 私の手から台所に落ちて  さぞ痛かったんだろうねお前は
お前は仰向に倒れて苦しそうにしていたね
私は決して悪い気で お前を落としたんじゃないから お前も私をお許しだろうね

お前は五分も黙って 仰向いていたね
私は死んだんじゃないかと 実際悲しかったよ
その後お前は私の顔を二度にらんで(堪忍しておくれよジョン)
お前の家になっている凾(はこ)のある 裏の土蔵の方へ 
四つの足みんなで とても苦しそうに歩いて 這入って行ったね
私はお前が死んだんじゃないかと 実際悲しかったよ 
お前は暗いとこへ つとめて這入りたがるから
実際私は悲しかったよ
お前が死んだんぢゃないかと

死ぐ(死ぬの方言)時に其のしゃれこうべのありかを人に見せないと云うのは
お前の社会のMOTTOR(モットー)だそうだね
私はお前が暗い方へ行くから MOTTORを考え出して 非常に悲しんだよ
お前が死ぐ(死ぬ)んじゃないかと
お前もその時は苦しんだろう 私もその時は苦しんだ みんな私のあやまりから
しかし私は神に祈ったよ
お前は知るまいがね あのロシヤの近頃の 大きな文豪でね
ロシヤの文豪と云えば多いがね
クウプリンもアンドレエフも
チェホフもダッタ(ドフト)エフスキーも みんなえらいがもっとえらい
レオ(レフ) トルストイと云う人のねResurection(復活)と云う小説のね
女のヒロインのね カチュウシャと云うのね
其の人のことを日本の人が作った歌の詞のようにね
私は神にお前が死なないように願ったよ

私のお願いを神様もあわれと思いなさったんだろう
お前は又 鈴をふって 其の音の後から続いて かわいく歩いているからね
もう大丈夫 お前はもう大丈夫
今に私がね いい歌を教えてあげるから
道を行く人に聞いた つまらない歌を歌うでないよ

其のカチュウシャの歌と云うのはね
聞きたいならば歌おうね
さあ、これは一番だよ
「カチュウシャ可愛いや 別れのつらさ
 せめて泡雪とけぬ間に 神に願いをかけましょうか」
                        
 畢(おわる)

 翻刻 アザリア記念会 向山三樹

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シンポジウムと『天使猫』Ⅱ [催し物]

もう一週間以上経ってしまいましたが、
前回の続きです。

先に観た知人・友人の評判もよく、
楽しみにしていた渡辺えりさんの『天使猫』


暗い舞台に波の音から始まる…。
一匹の猫が捜しているのは、どこかに埋まっているはずの妻の遺体。
最初の場面から、これはたいへんなものを見に来てしまったと思いました。

ストーリーなどあってない、
現実と幻想が入り交じり、
時空を行き来し、賢治の生涯と作品たちが交錯する、そして清六の生涯も重なる、
なにこれ、どここれ、誰がだれ、・・・あなたはだれ、わたしはだれ。
賢治は誰を捜しているの。
清六は誰を捜しているの。
・・・私はいったい誰を捜しているの・・・?

明るい賢治はそこにはいない、
苦悩する賢治、東北の暗い空の下、二つの三陸地震と津波に夾まれた生涯。
失踪した岩手山は、俺は何にもできなかったと言って泣く。
泣いていたのは賢治?いや、私?
津波にさらわれてしまったのはあなた。あなたはわたし。
津波にさらわれてしまったひとをいつまでも探すのはあなた。あなたはわたし。
いつまでも探すひとに心痛めるのはあなた、あなたはわたし

賢治のきれぎれのことばが舞い、突き刺さってくる。
賢治の血を吐くような苦しみが迫ってくる。


面白かった、とはとても言えない演劇。
私がもらったのは、えりさんの重い重い、想い。

忘れるなよ、東北を忘れるなよ、と
天使猫がささやく。

ホモイが受け取るのを拒んだ赤い玉、
しまいには賢治が受け取ったのね、と思ったのは間違い、
帰路についた時、私の中にしっかりとそれがあることに気付いて愕然とする。



波の音が今も聞こえる。
それは私の中で次第に大きくなっていく。
賢治が歩いた透明な軌道を目で追いながら
私はわたしの中の赤い玉のあるあたりを、そっと撫でてみる。

忘れない、忘れないよ、と。 

偶然にも昨日、フェイスブックに流れてきた動画。
押し寄せる波、瓦礫の山、屋根の上のバス、
泥に半分埋まった遺体、シートの端から覗く細い指、動かぬ幼子の足。


天使猫。
期待するとかしないとか、面白いかそうでないかなんていうものを
遥かに超えてしまう、お芝居でした。
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シンポジウムと『天使猫』Ⅰ [催し物]

昨日11月24日、賢治がらみの二つのイベントがありました。

ひとつめはシンポジウム
午前中、半田市のアイプラザ半田というところで
「児童文学者の故郷と文学館」という名のシンポジウムがありました。
当初200名の会場を予定していたら
応募者が多くて急遽、約3倍の収容力の大ホールに変更になったとのことで
たくさんの人が来ていて大盛況でした。

新美南吉記念館館長・山本英夫さん
金子みすゞ顕彰会事務局長・草場睦弘さん
宮沢賢治記念館副館長・牛崎敏哉さん
3名がそれぞれの記念館の紹介や成り立ち、地域の人々との関わり、未来への取り組みなどを
熱く語ってくれました。

それぞれ規模も立地も違い、特色をもった記念館を運営しているけれど
共通しているのは、
作家の無名の時代を支え、あるいは情熱をかけて発掘にあたり、
なんとか世間に広く知ってもらいたいと働いた人がいたということと
それを受け継いで後世に残し次世代へ繋げていかねばという思いで活動していること。

そして最も重要なことだと思いますが、
南吉もみすゞも賢治も、地方に生まれたけれど
中央を見据えながらも
地元・故郷を大切にし、そこを作品を描いたこと。

ほんとうのグローバル化は、地域を捨ててみんなが同じになることではなく
地域や個性を大切にしてこそのものだと教えてくれている気がしました。

草場さんは山口県の仙崎から、列車を乗り継いでこられ、
牛崎さんもはるばる岩手から駆けつけてくれて
愛知の地でこのようなシンポジウムが行われたことは、
愛知県人として、とてもうれしいことでした。

牛崎さんは、話の所々、賢治作品を岩手弁で披露もしてくれて、
きっと本場の岩手弁を初めて聴いた方がほとんどで
皆さん大いに楽しまれたのではないでしょうか。

終了後、ロビーに出てきたところで運良く牛崎さんに会うことができました。
ご挨拶できてよかった。
そして「まんがよんでますよ」の言葉にとびあがってしまって、
動揺してきちんと御礼が言えませんでした。
「ありがとうございますー!!」


『天使猫』
午後、正確には夕方からは長久手市にて
待望の『天使猫ー宮澤賢治の生き方ー』を観てきました。

渡辺えりさん率いる「オフィス3○○(さんじゅうまる)」の舞台です。
開場前に、うろうろしていたら、
向こうに手を振るひとが。
なんとー!
加倉井さんが当日券の発売を待って並んでいました。
鳥取(!)からの帰りに、思い立って観にきた、とのこと。
先月韮崎で会ったばかりですが
やっぱりうれしいですよねー。

と、いうことで、演劇の感想は次回へ。






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第7回 花園農村の碑 碑前祭   [催し物]

もう10日以上経ってしまいましたが
行ってきました碑前祭!

10月26日土曜日、快晴。

この青空の様な爽やかな碑前祭。

今回は若い仲間が増えました。
韮崎のシンガーソングライター、サガノユウキさん。
賢治ファンだったユウキさんは
プラネタリウム番組『二人の銀河鉄道』を見て感動し、
「銀河鉄道の街」という曲をつくりました。
その曲と「雨にも負けず」の2曲を
アザリア記念会・新村さんのコーラス付きで披露。

汽車の形の詩碑の前に立つお二人の歌を聴いていたら
まるで銀河鉄道に乗り込もうとしているジョバンニとカムパネルラに見えてしまって涙涙…。

毎年この日の為に集まり歌ってくださる韮崎市民合唱団の皆さん、本当に有難いことです。

賢治の絵本で知られる田原田鶴子さんは『二人の銀河鉄道』の背景に使われた絵を
アザリア記念会に寄贈してくださった!!
初めてご自分の作品を手元から離すとのことです、ありがとうございます。

金田賢一さんと丸尾めぐみさんによる朗読劇『二人の銀河鉄道』では、
プラネタリウムで観たときのそのままの声と音楽に、
場面が浮かぶとまたあの時の感動がよみがえってきました。
保阪嘉内が19歳の時に創った詩、「マイリトルブラザージョン」の朗読もあり、
これがまた愛情にあふれたいい作品。(近いうちにアップします)

美しいものをたっぷりと頂いて
心がいっぱいに満たされた碑前祭でした。

プラネタリウム『二人の銀河鉄道』を制作した高橋真理子さんも会場にみえていて
監修・アドバイスをした加倉井厚夫さんもいて
今年は、この作品によって結ばれた人々が集ったんですね~

保阪嘉内の長男・善三さんと次男・庸夫さんのお姿も見ることができ
ほんとうによかった。


打ち上げは居酒屋・百文家さんにて。
ここでも歌って騒いで、お腹もいっぱい。

賢治と嘉内は、人々の幸いを願って、ポラーノの広場や花園農村を夢に描いたのでしたが
岩手、栃木、鳥取を始め各地に今もなお広がり続ける友好の輪を思ったとき、
二人が創りたかったのは、ほんとうは場所のことではなく
こんな風な人と人との繋がりのことだったのではないかなぁと
生ビールを飲みながらみんなを眺めていたら
こみ上げてくるものがあって、なんとかバレないようにごまかすのが精一杯で…。

ああ、楽しかった、うれしかった。

素晴らしい人々が集まってくる韮崎!
みなさんお世話になりました。

来年もまた行きまーす!!



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新資料!嘉内宛書簡 [保阪嘉内]

韮崎の「保阪嘉内・宮沢賢治 アザリア記念会」で新資料が見つかり
「河本緑石研究会」のフェイス・ブックに続々とアップされていました。

まとめてリンクを貼っておきます。
こりゃすげー!

香川県の屋島のしゃもじハガキ  日付が大正15年1月7日

保阪嘉内宛河本緑石書簡① 大正14年8月7日(河本緑石宛保阪嘉内ハガキ大正15年8月15日消印から推定) 山梨県北巨摩郡駒井村 保阪嘉内様 7日 河本生 

保阪嘉内宛河本緑石書簡② 大正14年12月14日消印(鳥取県立農学校絵はがき) 甲州北巨摩郡駒井村 保坂(阪)嘉内様

保阪嘉内宛河本緑石書簡③ 大正15年1月3日消印 山梨懸北巨摩郡駒井村 保阪嘉内様

保阪嘉内宛河本緑石書簡④ 昭和7年12月26日付(芸伎のカラー絵はがき) 甲斐の国北巨麻(摩)郡駒井村 保阪嘉内様 七、十二、二六、 京都市烏丸通宮本宿官(旅館?)内 河本緑石 

保阪嘉内宛河本緑石書簡⑤ 昭和8年1月5日 東京市豊嶋区長崎東町三ノ八〇七 保坂(阪)嘉内様


保阪嘉内宛門前弘多書簡① 大正12年1月1日消印 山梨縣北巨摩郡駒井村 保阪嘉内殿

保阪嘉内宛門前弘多書簡② 大正12年9月30日消印 山梨縣北巨摩郡駒井村 保阪嘉内殿

まだまだ他にも、どこかにあるかもしれませんね。
賢治からの手紙も出てくるといいなぁ…



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『カチューシャの唄』Verve&Lily [音楽]

山梨を中心に活動しているボサノバのふたり Verve&Lily が、初めてのCDを出した。

『カチューシャの唄 声とギター』というCD。
タイトルのとおり、「ゴンドラの唄」など賢治や嘉内が親しんだ曲もある。

届いたCDを聴いて、ああいなぁと思った、
ずっときいていたい心地よさ。

しっとりと落ち着いた、それでいて儚げなリリィの声。
繊細で、強くてそれでいて主張しないギターはリリィを包み込む。

余分なものをいっさい省いて、声とギターの弦の震えだけで
こんなにも豊かな表現ができるものかと思う。


今朝また、ぽっかりと空いたひとりの時間にCDをかけたら
なぜか涙があふれてとまらなくなった。

今、巷に溢れるミュージックとは正反対のところにある音楽。
古い時代の歌ではあっても、込められているのは不変のもの。
それに、少しも古さなど感じられないのはなぜなんだろう。

音学や知識に乏しいのでうまく伝えられないけれど、
バーブさんのギターのコードやアルペジオ、演奏法などは
尋常ではないセンスなのではないだろうか。

一音一音、あるべきところにあって、響いて共鳴して消えてゆく。
どの曲も、余分な音も足りない音もないのは共通しているが
たとえば「ゴンドラの唄」のコード進行の絶妙。
それにギターの音がぴたりと止まりリリィの歌だけが進む部分があるが、
そこに込められた音にならないものにぐっときてしまったり。

「宵待草」のコードはいったい何なんだと思う。
まてどくらせど来ぬひとを、待ち続ける心に流れるのは
こんな透き通った深い深い藍色の和音に違いない。

「この道」のラストは、足下のこの道が、
おぼろげになって遙か遠くに続いていくように、
リフレインがフェードアウトしていく。

もっと聴き込めば、もっともっと気づき感じるところが出てくると思う。

よくぞふたりが出会ってくれたと思う、
こんな声とギターは神様が組み合わせたものに違いない。

因みに、CDの帯には、HPで試聴してからの購入を勧める文とともに
「18歳未満の方の購入はご遠慮ください」とある。
最初は意味がよくわからなかったが、
聴いているうちに、これはきっと
ハダカのリリィと
ハダカのバーブがここには居るのだから
子供にはまだちょっと早いからね、ということなんじゃないかなと思った。
そしてやっぱり、聴けば、ハダカになってしまう自分がいた。


  Verve & Lily ホームページ→こちら 
  Youtube 試聴→「夜来香」  
  アルバム『カチューシャの唄 声とギター』→購入先




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賢治祭の朝に思うこと [思うこと]

今日は宮澤賢治の命日。
花巻の賢治詩碑の前では「賢治祭」が行われます。

今年は、休日の配置が悪いのと、娘の受験が控えていることもあり
岩手行きは断念したので、
ひとりでひっそりと「ひとり賢治祭」だな~なんて思っていました。

今朝一番に見かけたツイッターのつぶやきから
こんなことを感じてツイートしました。

「RTされていた人のツイートをたどったら「銀河鉄道の夜」は好きでずっと読んできたけど保阪嘉内のことは知らなかったというのがあった。最初はへぇ、と思ったけど、本当はそれがいいのかも。私のようにどっぷりで賢治の実像(妄想!)と重ねずには読めないよりは、作品と純粋に向き合えて賢治も本望。」

そうしたら、立野淳子( ‏@selalabard1) さんから
こんなすてきな返信がありました。

 「そのうえ、自分の実生活を重ねて読んでしまいますね。

 ひとり、ひとりの『銀河鉄道の夜』になっていくのですね。

 それを語り合えたら、共有出来たら。

 人々の悲しみは少なくなっていくでしょうか。」

ひとりひとりの『銀河鉄道の夜』、
ひとりひとりの“賢治”、
それは否定でなく共有すべきもの。
なんて素晴らしいんでしょうか。

これまでの賢治との向き合い方に
ほんのちょっぴり疑惑が生まれ
胸中に小さな染みのような憂いを感じていたときに
自信をとりもどしてくれた一言でした。

認め合い共有し合って
より想いを深め
悲しみを軽減し
お互いに少しでも幸せをもたらすことができたら
やっぱりそれが一番素敵なことで
賢治もよろこんでくれるはず。

賢治学会や各研究会は
そのためのものであることを願うし
実際、そのためにつくられたものに違いありません。


「特に今日は、一日中賢治が傍らに居てくれる日です。

私の賢治と語らいながら、各人の賢治を探したいと思います。」

そうです、「ひとり賢治祭」だけど、たくさんの人とつながっている賢治祭。

立野淳子( ‏@selalabard1) さんの言葉が、
爽やかな秋の朝に、胸に沁みわたりました。
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『花園農村の碑 碑前祭』のお知らせ [催し物]

「保阪嘉内・宮澤賢治 アザリア記念会」からのお知らせです。

花園農村の碑 碑前祭

2014年10月25日(土) 入場無料
◆碑前祭
時間:午後1時30分~
場所:東京エレクトロン韮崎文化ホール前庭
『花園農村の碑』前

碑文朗読  ゆかりの方からのあいさつ
保阪嘉内の歌曲「藤井青年団歌」「勿忘草の歌」他
(韮崎市民合唱団)

◆記念朗読会プラネタリウム番組「二人の銀河鉄道」の感動をふたたび 
朗読担当 金田賢一 音楽担当 丸尾めぐみが来たる
時間:午後2時10分~ 場所:東京エレクトロン韮崎文化ホール会議室         
朗読と音楽作品
「二人の銀河鉄道」嘉内と賢治組曲、
野尻抱影、Toll the Bell その他


今年もわくわくするような催しです。
皆さんどうぞお気軽に、遊びに来て下さいね~!

(金田賢一さん、どんな方でしょうね、
 ちょっとドキドキします~)

hizensai2014.jpg


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「あめゆじゆとてちてけんじや」 [思うこと]

賢治の詩「永訣の朝」には
(あめゆじゆとてちてけんじや)というリフレインが何度も入っています。

賢治の妹・トシが発した言葉なのですが
花巻弁と思われているこの言葉は実は花巻弁にはない、ということを
何度か眼や耳にした覚えがあります。

先日、といってももう3ヶ月くらい前になってしまいましたが
花巻出身のクマさんことSさんと、この件についてメールでやりとりをしました。

Sさんは、龍谷大学ミュージアム特別展での
花巻博物館長の講演「西域・宮澤賢治と多田等観」に行かれ、
(私は行けなくてほんとうにザンネン!!)
花巻から来られた方々と談笑された折、
「トシ の ・・ けんじゃ ・・ どう読みますか?」
との問いに そのまま読むとの事で、
「そんな、言葉が花巻に有りますか?」と聞くと「有りません、・・ けでじゃ ・・、が普通」との答え、
だったそうです。

以下《 》内はSさんからのメール。

《この言葉以外は トシ の発音を本当に音として正確に記録しようとの 賢治の意思を感じますが、

何故、此処だけ 花巻言葉に再現し得ない 文字にしたのでしょうか?

トシの兄への甘えを表したのでは・・ とのご意見がありました。(Iさん)

甘えだったら、 ・・・ けで~ ・・ のニュウアンスの変化で表すのが普通では・・? 》


そこで私は、いろいろ考えてみたのですが
Sさんに送ったのはこんな文章でした。

   私が思うのは、トシさんは亡くなる直前の重い状態で
  言葉に力もなかったと推測します。
  「おめゆぎ とてきて けでじゃ」が本来の花巻弁でしょうか?
  ほとんどささやくように言ったのだから、
  発音もままならず、
  「あめゆぎ」の「ぎ」は「じゅ」とつぶれ、
  「とてきて」は「とてちて」と舌足らずに。
  「けでじゃ」の「で」に力もはいらず「ん」と聞こえた、

   …のではないかなーという気がしてなりません。
  賢治はそのあえぎのことばそのままを写し取ったではないかと
  思うのですがどうでしょうか。

これに対するSさんの返信、
  
《その通りだと思います(私は心平さんの朗読にそれを感じたのです )。
賢治は、トシの息遣いまでも 遺したかった、私にはそう思えるのです、

      他の言葉の部分も、・・ とても足らない50音文字を用いて。

      少し、花巻の発音について・・・

      ① K 音は G or Gy 音(鼻濁音)の方向へ (あめゆぎ、あめゆぢゅ(ぢ(i・u))

      ② K 音は C or T 音の方向へ       (とてきて、とてちて、とてぎで)
      

       ①と②がまたその中間の音になるような気がします、 
       かな表記は単に本人の賢治覚えとさえ思えます。

以上 子音 ですが 当然 母音はもっと表しにくいのです。

        (音声学の知識が必要かと 思います。) 》

       
       

「賢治は、トシの息遣いまでも 遺したかった」

     …というSさんの言葉が胸に重く響きました。



なお、Sさんのメールにある「心平さんの朗読」とは
Youtubeにあるこの動画のことです。非常に貴重なものだと思います。
宮沢賢治「永訣の朝」 朗読・草野心平


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『みやけん日記』 [思うこと]

臆面もなく
新しいブログ始めてみました。

タイトルは『みやけん日記』

4コマ漫画で賢治の世界を表現してみたい、
伝えてみたい、と思い立って、はや数ヶ月・・・

なんとか描いてはみたけれど。

(ほんとは恐ろしいですが)
ご意見ご感想お待ちしています。
ご批判・ダメ出しは、お手柔らかにお願いしたいところです…
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